10錦町粟崎線(錦町A線)

▲画像ご提供:助ける役さん。

錦町粟崎線の前身は錦町A線で、
金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜錦町・東部車庫・金沢東高校・金沢学院大学
間で運行していました。

その錦町A線は、
昭和42(1967)年2月に市電代替路線として誕生しています。本数は、
金沢駅〜香林坊〜錦町  :62往復
金沢駅〜香林坊県庁前  :15往復
で、県庁前止まり便も多く設定されていました。

昭和44(1969)年9月には、ワンマン化が実施されました。
多区間運賃の路線でのワンマン化はこの時が初めてで、運賃表や整理券といった
システムはこの時から登場しています。

本数は日中15分間隔でしたが、昭和52(1977)年12月改正では
「交通混雑を避けるため」に11系統を増便する代わりに
10系統は日中20分間隔とされ、さらに
「武蔵ヶ辻〜金沢駅間は両系統が輻輳しているため」という理由で
10系統のほとんどの便は武蔵ヶ辻起終点とされてしまいました。
(この翌年の時刻表には10系統は19分間隔となっていますので、
おそらく20分間隔というのは間違いかと思われます。。。ほぼ合ってますが…)

昭和49(1974)年の東部営業所開設後も、11系統と異なり
10系統は全便錦町止まりを維持してきていましたが、
昭和63(1988)年からは一部便が東部車庫・女子大附属高(現.金沢東高校)・
女子大学(現.金沢学院大学)まで延伸されました。

昭和62(1987)年11月に15系統が新設されると、香林坊〜錦町間が完全に
重複することになるため10系統も大幅減便となり、
日中は60分も空く時間帯も出るようになりました。しかしそれと引き換えに
約半数の便が金沢駅まで再び延伸され、利便性の向上も図られています。


画像の幕は平成7(1995)年にローマ字併記幕が登場するまで使用されていたもので、、
11系統と見分けがつくように番号と経由地が反転していました。



女子大学行きも、反転していました。
現在では反転もなくなり、学校名も変更されています。



女子大附属高校も現在では金沢東高校となり、もちろんこの幕は
見ることはできません。



数学教師さんより、またまた貴重な画像を
いただきました。

東部の幕で、昭和56年ごろの幕だと思われます。
この10系統に関しては、色別方向幕再編後も
十分に使える幕だといえます。
東部車庫の幕があるのですが、当時の時刻表に
よると、10系統の東部車庫乗り入れは昭和62
〜63年ごろまで確認できず、かといって
3系統の幕があるので昭和59年以前のもので
あることには間違いなく、謎といえます。

また東部車庫行きの幕の経由地表記が「錦町」と
なっており、後の時代の幕とは異なっています。

それより気になるのが、下にある3系統(!)
の幕です。
香林坊循環線の幕であることには間違いなさそう
なのですが、東部が担当していたのですね〜



▼同時期と思われる横幕です。時刻表では確認できない通快や、
特徴的な兼六園下行きの幕に注目です。
▲画像ご提供:野山あずさ さん。



錦町行きは、ローマ字なし幕時代からこの表記です。
反転幕もありませんでした。

本来の錦町系統は、90年代前半までは約半数を占めていたのですが
その後数を減らし、錦町粟崎線となっても一応存続していたものの
最近になってとうとう姿を消しています。



平成2(1990)年1月より、他の路線と同様に辰巳丘高校乗り入れを開始しています。
幕はこちらも反転していませんでした。



90年代になると10系統は次第に減便・短縮され、
影の薄い路線へとなっていきます。
金沢駅発着便が増えた代わりに本数は30〜40分に一本となり、
96年ごろには武蔵ヶ辻発着便もほぼ消滅し、錦町A線の最終年である97年には
とうとう日中便が間引きされるという末期的状況になりました。


▲97年まで使用されていた横幕です。

97年までは金沢駅(東口)発着でした。
また、兼六園下を通っていたのもこの年まででした。
唯一例外的に兼六園下をその後も経由していたのは、
朝の辰巳丘発の系統でした(02年ごろ消滅)。
ただし、これは武蔵ヶ辻までだったため、
金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜東部車庫
は97年で消えています。



末期的状況だった10系統ですが、平成10(1998)年3月に一大転機が訪れます。
合理化の一環として現在多くの路線でなされている結合路線の第一期として、
70粟崎線と路線を連結し、錦町粟崎線となりました。

本数は毎時2本にまで増加し、また所要時間短縮のため野町小立野線とともに
兼六園下経由から成巽閣前経由に変更されました。
野町小立野線のほうは翌年に再び兼六園下経由に戻っていますが、錦町粟崎線は
その後も10年以上もこの成巽閣経由を維持してきました。

これまでの東部営業所に加えて西部営業所も同線の担当となりましたが、
どちらの営業所ももともと日野車中心だったため、路線のイメージはあまり変わりませんでした。
幕は東部担当と西部担当とで異なっており、上の幕は東部担当の幕です。
現在でも東部車の多くにこの幕が残っており、幕回しの際に見ることができます。



平成15(2003)年4月に東部担当便がほくてつバス(柳橋)の担当となり、
ほくてつバス東部駐在が誕生しました。
このほくてつバス東部駐在車には西部で用いられていたものと同じ幕が搭載され、
幕だけでは担当営業所を見分けることができなくなりました。

ほくてつバス担当となったこともあり、この頃から運用される車両も三菱ふそう車が
多くなってきました。しかし、平成18(2006)年9月にほくてつバス東部駐在車の
入れ替えが行われたため、現在では再び日野車の割合が多くなっています。
07年はほくてつ担当が日野93年式(23−366シリーズ)、
西部担当は458・459・日野ワンステが走っていました。

平成20(2008)年4月、この錦町粟崎線から西部営業所が撤退し、ほくてつバスが
全便を担当することとなります。これで、東部駐在と北部営業所(柳橋)の違いはあれど、
同じ営業所の車両で統一されました。
両端には西部車庫、東部車庫がそれぞれあるのに担当は全く異なる
柳橋、というのはいかがなものかとも思うのですが…

画像は、ほくてつ・西部担当時代のほくてつバスのものです。

▲成巽閣前経由もすでに過去のものです。

平成20(2008)年12月改正では、土日祝日に限り金沢駅東口行きも登場しました。
そして平成21(2009)年5月改正では、10年以上続いた成巽閣経由を
再び兼六園下経由に戻すなど、近年は再びかつての錦町A線に近い雰囲気になってきています。
(免許維持のためか最終便のみは成巽閣経由となっています。)



金沢東高校行きも、東部車庫行きと同じ経由地表記です。
この幕は、西部・ほくてつ(柳橋)のものです。

画像は、西部担当の頃のものです。
とくに03年から06年にかけては、10系統の多くを三菱車が
占めていましたが、現在は車両こそ新型の「日野エルガ」ですが
日野中心となり、原点回帰(?)しています。



野々市や南部の車両に入っていた幕です。
朝は東部以外の営業所が数本を担当していた時代もあり、この幕も
金沢駅や香林坊発の金沢東高校行きで使用されていました。

なぜ経由地表記がなかったのかは謎です。
同様の幕は錦町行きも金沢学院大学行きも存在していました。



さきほどの東部車庫行きの幕と同様に、東部担当の錦町粟崎線の
金沢学院大行きの幕です。
現在では「大学」と表記されていますが、かつては「大」表記でした。

幕回しのさいに撮影したため、ちょっとズレていますがご容赦ください。



こちらは同じく東高校行きの幕です。



西部と柳橋の幕には「香林坊」の表記が追加されていました。



柳橋と一部の西部の車両にはニュータイプの幕もあり、
「金沢学院大学」表記となっていました。

画像ご提供:若原さん。



さきほどと同様、かつての野々市と南部の幕です。
松任からの学院大学行きのほか、香林坊発の学院大学行きでも使用されていました。



錦町粟崎線の誕生当初、西部の一部の車両にはこんな幕が入っていました。
よく見れば番号が「10」ではなく「70」となっており、
発注ミスなのか業者のミスなのか。。。

修正版が納品されるまでのわずかな間でしたが、実際に
この幕が使用されていました。



かつての主流系統である錦町行きですが、08年4月で消滅しました。
幕は西部・ほくてつバスのものです。



こちらも南部に入っている幕です。
やはり経由地表記がありませんが、ローマ字併記になっています。
この幕は、香林坊〜兼六園下〜錦町の系統で使われていたようです。

画像ご提供:H−199さん。



かつて寺井営業所のハイグレード車にはこんな幕も入っていました。
朝の間合い運用で錦町まで行った戻りの兼六園下行きで使用されていたようです。



同じような香林坊行きの幕は東部営業所にも入っており、
よく見ることができました。
経由地表記に「小立野」くらいあってもいいように思いますが。。。



80年代はほとんどが武蔵ヶ辻〜錦町の運行でしたが、平成4(1992)年には
香林坊止まりと金沢駅行きにほぼ統一されました。
朝夕ラッシュにはその後も武蔵ヶ辻行きは見ることができましたが、
最後は辰巳丘→武蔵ヶ辻の1本のみとなり、細々と消滅していきました。

なおローマ字なし幕も同様の表記でした。



錦町粟崎線になる前の幕です。
98年3月に金沢駅西口経由の粟崎行きに変更されたので、
「金沢駅」表記そのものが懐かしいですね〜



98年の改正以降も、朝に一本のみ辰巳丘→香林坊の便が一本のみ
残りましたが(しかも兼六園下経由)、
幕はこれまでのものは使われず新調されたこの幕が使用されていました。



同じく朝に一本のみ残った辰巳丘→武蔵ヶ辻で使われていた幕です。



金沢駅西口止まりはわりと最近まで残っていました。
東部担当の頃はこの幕が使用されていました。



西部営業所に入っている幕です。
モーニングダイレクトで金石発錦町行き(08年4月で消滅)の戻りは
錦町発金沢駅西口行きとなっていて、その便で使用されていました。



上記の系統がほくてつバス(柳橋)の担当になってからは
幕が新調され、「成巽閣前」が追加されました。
もちろん、残念ながら現在は見ることはできませんし、
該当便そのものも消滅してます。


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