11錦町B線
小立野方面への最も多い本数を確保している11系統です。
近年乗客の減少がかなり目立ってきており、本数もかなり削減
されました。
錦町B線は10系統の錦町A(現.錦町粟崎)線と対をなしています。
昔から非常に学生利用が多く、マナーの悪さも目立っています。
バスの中はゴミがあふれ、椅子の肘掛に足をのせている学生。
そんな路線を毎日運転しているのですから、かつて東部営の運転手さんは
怖い方ばかりでした(今は分かりませんが)。
ドアに挟まれたとかで近年よく報道にあがったりしますが、
少なくともこの路線に関しては客のほうに問題があるのではないか、
というのが長年乗ってきての一乗客としての感想です。。。
幕の表記は長年このようになっています。
シンプルですが、分かりやすくなっています。
画像は、金沢駅西口で撮影したものですが、08年12月より金沢駅東口
発着に10年ぶりに戻っており、今ではもう見られなくなりました。
錦町線という名のつくことから、
この路線の原点はここにあります。
昭和25(1950)年4月、金沢駅〜橋場町〜小立野〜錦町間で
運行を開始しました。当時は「小立野線」という名称だったようです。
昭和42(1967)年2月の市電廃止に伴う大改編で、
金沢駅〜橋場町〜工学部前 56往復
金沢駅〜(快速)〜工学部前 10往復
金沢駅〜(快速)〜出羽町 8往復
金沢駅〜橋場町〜小立野 3往復
となりました。これは市電の1系統を代替したもので、錦町へは
行かなくなりましたが、これはおそらく香林坊経由の錦町A線が
錦町まで走るので、こちらは工学部前までだったのかもしれません。
▲90年頃の錦町B線。朝夕には、野々市の車両も運用に入っていました。
画像:助ける役さんご提供。
しかし昭和43(1968)年11月に、現在の44系統である
「野々市線」開業によって、それまで「野々市線」を名乗っていた
現在の43系統が「小立野線」とに改称しており、
それまでの小立野線のほうは「
工学部線
」に改称しています。
(別の資料では昭和43年8月時点で「工学部線」を名乗っており、
正確な改称時期は不明です。)
翌昭和44(1969)年11月には、ワンマン化と錦町延伸が行われ、
錦町B線
が誕生しました。(本数は68往復)
この「小立野線」という名称は、昭和43(1968)年11月に、
そして、昭和49(1974)年の東部車庫完成に伴い、
一部の便が出入庫を兼ねて東部車庫まで延長となりました。
また、その翌年には現在も使われている「11」の番号が与えられました。
▲こちらも90年代の11系統の姿。まだローマ字なし幕です。
当時の本数はA線が約15分間隔で62往復だったのに対して、
小立野(錦町B)線は約20分間隔の56往復でした。
ところが、昭和52(1977)年12月改正でこの立場が逆転します。
10系統は20分間隔でかつほとんどの便で武蔵が辻までとなり、
11系統は逆に11分間隔に増便となります。
これは定時運行を行うために、より混雑が少ない橋場町経由の
11系統を増発し、小立野方面からの金沢駅へのアクセスをこちらに
一元化することで効率化も行われました。
この11分間隔というのは90年代初頭まで続きます。
▲08年12月より白銀交差点を通る11系統は見られなくなりました。
数学教師さん
より、またまた貴重な画像を
いただきましたのでご紹介します。
「金沢女子短大」の幕が見えますので、
昭和56(1981)年以降の幕と思われます。
経由地表記は同じ橋場町のみとなっているの
は今なお変わっていませんが、当時は小型幕
だったため少しでも文字数を減らそうと「橋場」
表記となっているのが特徴です。
切り継いだ跡がないことから、当時のままで
あると思うのですが、不思議なのはこの当時
すでに消滅している工学部前(現.崎浦公民館)
行きの幕があることです。
97年になると、徐々に本数が削減されていき、小立野までの
便も見られるようになりました。それでも、この後の系統の連結では、
相方の10系統とは正反対に単独の系統を守り続け、本数は20〜30分
に1本とはなっても、東部の伝統路線として活躍を続けてきました。
▲98年3月から08年12月までは金沢駅西口発着でした。
98年3月の大改正で、これまでの金沢駅前から、金沢駅西口発着に
変更されました。現在でこそ当たり前になっていますが、この改正直後
は乗り場がわからずに混乱する人が多かったそうです。
03年に湯涌線がほくてつバス担当になると、11系統でありながら
「湯涌線」となっている錦町行きもこの時にほくてつバス担当となり、
両社のバスが走るようになります。
画像は、03年からしばらく使用されていたもので、
ほくてつバス担当便の幕には「小立野」も表記されていました。
▲08年4月、ついに東部の手を離れてほくてつバス担当に。。。
そして、08年4月の改正では92系統が東部担当に戻ったのと
引き換えに11系統すべてがほくてつバス(東部駐在)の担当となり、
同時に幕も見納めになっています。
伝統の錦町線の両方ともが、お膝元である東部発着でありながら
現在はほくてつバスが担当しているというのは、なんだか
寂しいですね。
朝にのみ見られる幕です。
東高校とは言っても、ほとんど東部車庫と言ってよく、
実際に東部車庫の裏口が金沢東高校となっています。
この東高校乗り入れは昭和56(1981)年3月で、
花里線と時を同じくして乗り入れています。
こちらの学院大(当初は金沢女子大学)延長は
昭和62(1987)年2月になされています。
このように、10・11・18系統のように、
東部車庫を終点とする路線はだいたい同じような
行き先となっており、3系統合わせるとかなりの本数となっています。
平成2(1990)年1月、辰巳丘高校の開校に伴って
11系統も乗り入れを行っています。当時から本数は少ないものの、
通学生の足として今もなお運行されています。
画像の「加賀百万石博」プラ板が懐かしいですね。
一時期は「兼六園」なんてのも見られましたが、なかなか分かりやす
くてよかったのではないかと思うのですが。。。
平和町で緑幕の異彩を放っていた系統です。
平成9(1997)年2月に「大学病院の利便を図るため」に
新設されました。が実態は、83系統の大幅減便による救済措置と
思われます。
当初から本数は2往復のみで、かつての川上A線を思い出させる
経路で、なぜ11系統なのか、というのが個人的には謎でしたが、
いつの間にか1往復となり、石引線の間合いを縫って走るのみとなって
いましたが、平成19(2007)年4月にとうとう廃止されました。
幕には「大学病院」表記があります。ほかの11系統とはこの点でも
異なっています。また、平和町には「市立病院」表記がないのも
特徴でした。
かつて走っていた区間便の小立野大学病院行きです。
平成9(1997)年2月改正で、やはり
「大学病院への利便を図るため」に新設されましたが、
これまたやはり石引線の大幅減便によるものだと思われます。
午前中を中心に数本が用意され、錦町行きも一部大学病院経由
となり、金沢駅から大学病院への足が確保されました。
ただ、わずか数年でレア系統と化し、近年は朝に片道1本のみ
の運行となっていましたが、平成17(2005)年3月で消滅しました。
こちらはその横幕になります。
金沢駅〜小立野の便は数学教師さんご提供の幕でも確認できますが、
あの当時は出羽町・石引町・小立野への乗客がとても多かった
ための通勤通学時の区間便として用意されていたもので、
決して減便と効率化の産物ではなく、同じ系統であっても
かつてとは事情が異なります。
長らく運行されていた早朝の回送代わりの系統で、
金沢駅(平成10年以降は西口)〜橋場町〜兼六園下の短距離を
ほぼ空っぽの状態で走っていました。
また、運行は西部営が担当していました。
平成18(2006)年4月に細々と廃止されました。
とにかく11系統は意外にいろいろとレア系統を持っていたようですね。
現在も朝に運行されている11系統快速の小立野行きです。
空港線専用車両391が走っており、人気でしたが、
391がほくてつ南部へ移籍した現在はどうなっているのやら。。。
幕は存在せず、プラ板かLEDしか存在しません。
柳橋の新車のLED幕テストの際に撮影させていただきました。
この場をお借りしてお礼申し上げます。
現在の金沢東高校バス停の旧称は「女子大附属高校」でした。
乗り入れが始まった昭和56(1981)年3月のときは
「金沢女子短大」だったそうで、とにかく学校名が変化するたびに
方向幕もわざわざ作り変えられてきました。
平成5〜8年頃にのみ存在していた急行便です。
当時は急行や通快を新設して需要掘り起こしを図るのが
流行(?)でしたが、いつの間にか消えています。
それから、停車停留所も不明です。。。
通快もまたいつの間にか消えていました。
平成10年頃にスクールバスが設定されると役目を終えたものと
思われます。
停車停留所は、武蔵が辻、橋場町、兼六園下、出羽町、小立野、
小立野3丁目、工学部前、錦町、永安町、金沢東高校、金沢学院大学
です。
こちらはその通快の区間便ともいうべき錦町行きです。
これまたいつの間にか廃止されました。
金大工学部や錦町の警察学校ための輸送力確保が目的と思われます。
このように、たくさんの急行・快速が走っていた当時は、
現在に比べてはるかに活気がありました。
平成10(1998)年3月から金沢駅西口発着へと変更されました。
幕も新調され、11・12・16系統と共通のものと
なり、白黒幕となりました。
平成20(2008)年4月からは、全車両がLED幕の
ほくてつバスが11系統を担当するようになったため、この幕も
見ることが出来なくなりました。
金沢駅西口発着も同年12月より再び東口発着となっています。
08年12月に金沢駅東口発着となりましたが幕は新調されず、
「西口」部分を消して使用されています。
画像ご提供:若原さん。
南部営業所担当の幕は緑地白字のものを独自で使用しています。
もともとなかなか見ることができない幕でしたが、
現在では南部担当の11系統がなくなったので見ることはできません。
南部営の幕はカラーを重視しています。これは18系統にもいえますね。
平成10(1998)年3月で、東部地区の金沢駅ターミナルは西口に
移りましたが、それ以前は金沢駅東口を発着としていました。
今にしてみれば違和感がありますが、
当時の東口ターミナルはものすごい混雑っぷりだったと思われます。
08年12月より再び東口発着となっていますが、
今では全車両がLED幕での運用となっているため、
幕は新調されていません。
主にかつて下校時に運行されていた快速便です。
スクールバスがなかった当時はこのような便は必要だったと思われます。
そのほか、朝に通勤用にも1便が設定されていましたが、
こちらも現在では見ることはできません。
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