13医王山線




医王山線といえば、金沢駅〜香林坊〜小立野〜旭町〜医王山スポーツセンター
という系統がメインとなっていますが、この幕は現在では使われておらず、
現在の終点の一つ先の医王山登山口まで走っていたときに使用されていたものです。

この幕は医王山線の担当が北鉄金沢中央バスになった平成15(2003)年4月以降に
新調されたものですが、わずか3年で見納めになってしまいました。


▲画像ご提供:H−199さん。医王山見上山荘行きの幕です。

さて、この医王山線は昭和33(1958)年7月に「湯谷原線」として
金沢駅〜香林坊〜小立野〜湯谷原間で開業しています。
当時既にこの地区には国鉄バスが路線を持っていましたが、もともと
本数が少なかったため両者の棲み分けは当時からできていたようで、
昭和62(1987)年4月に北鉄に一元化されるまでこの状態が続きます。

当初は湯谷原までの路線でしたが、昭和40年代初頭には新聞に「医王山線
とあることから、市電廃止のころまでには医王山見上山荘(のちの医王山登山口)
まで延伸されているものと思われます。

▲14番時代の幕です。経由地表記が「香林坊」となっています。

昭和50(1975)年4月には、田上線とともに「14」の路線番号が
与えられました。当時は医王山線も田上線と同様に金商高校経由だったため、
同じ路線番号が与えられたようです。
現在の「13」番となったのは、昭和59(1984)年11月のことです。
(旭町一丁目が新設されたのもこの頃です。それまでは金商高校の次は下田上でした。)

▲14番時代の横幕です。

その昭和59(1984)11月には、医王口〜医王山見上山荘間の3.8キロが
フリーバス区間に指定されています。この改正では加賀・能登地区からスタートした
フリーバスが金沢地区にも本格的に導入されており、同期には津幡線、内川線、
犀川線があります。
その後フリーバス区間は昭和62(1987)年11月に
下田上〜医王口間2.3キロも追加指定されています。

本数は、昭和62年3月までは国鉄バスを合わせても5.5往復でしたが、
JRバス撤退後は後は一気に10往復(始発便は如来寺前発、終バスは医王山から
戻ってきて小立野3丁目止まりという一往復を含みますが。。。回送にしなかったのはエラい。)
にまで増えました。

▲かつてはフリーバス路線の車両にはこのような看板が付けられていました。

平成元(1989)年ごろには「放牧場前」が「キゴ山ふれあいの里前」に、
「青年の家前」が「医王山スキー場前」に改称され、さらに
これまで田上線のみが停車していた「金浦農協前」バス停を、医王山線が
走る道路側にも設置し、同バス停への停車も開始しています。
そして以外にも(?)、小豆沢口の新設はこれより遅く平成4(1992)年頃です。
それまでは別所口の次は湯谷原でした。
フリーバスの乗降が多かったことから正式なバス停として新設されたのでしょうか。

平成4(1992)年10月、太陽が丘ニュータウンへの乗り入れが始まります。
いわゆる「デマンドバス」方式で、バス停に設置されているボタンを押すと
ニュータウン入り口に設置された信号(?)が点灯し、それを確認した運転手が
ニュータウン内に乗り入れる、というものでした。
この画期的な取り組みはのちの穴水病院乗り入れのさいにも参考になったのでは
ないでしょうか。
「デマンドバス」は平成10年ごろ、利用者の増加に伴い全便乗り入れとなり
廃止となっています。(情報ご提供:フルーティさん。)

この頃までは例外的な便を除き金沢駅〜医王山間の運行でしたが、
平成5(1993)年改正からは日中の便が兼六園下発着となったり、
湯谷原止まりの便ができるなど、合理化も進められました。

▲ふそう大型車が入るようになったのは01年以降です。

日野の中型車が専属的に使われていた13系統でしたが、
平成13(2001)年3月に担当が東部営業所からほくてつバスに変更されると
東部から移籍した従来の日野中型のほかにも三菱大型車や、元周遊号など
多彩な車両が運用に就くようになりました。

そして同年8月、小立野トンネルの開通に伴い
13系統は朝の一本を除き、長らく続いてきた金商高校経由から旭町経由に変更されました。
所要時間は増加しましたが、旭町〜太陽が丘ニュータウン間の本数は
95系統と合わせてそこそこの本数が確保されるようになっています。

平成15(2003)年4月からは担当が北鉄金沢中央バスに変更されています。ただ、
担当が変わっても、平成17(2005)年4月までは金中バス北部駐在(柳橋車庫)
の車両が13・14系統を担当していたので実質的にはそれほど変化がありませんでした。
この変更で幕が新調されるなどしていますが、車両面でも変化があり
ほくてつバスから受け継いだ日野の中型などのほか、なんと大型ノンステップも
登場するようになりました。

平成18(2006)年4月改正では、「医王山登山口」が廃止され
バスはその一つ前のスポーツセンター止まりとなってしまいましたが、
翌平成19(2007)4月改正では全便が金沢駅発着となるなど
利用者増加に向けた取り組みも見られます。


▲05年以降、ごく稀に大型ノンステの運用もあります。



現在の幕です。ただし、使われるのは朝の医王山行きの1便のみです。
この便のみ金商高校経由で運行されているため、
幕も金商高校を表記しています。
かつて医王山線の姿を唯一留めている系統といえます。



平成15(2003)年9月から、土日祝日のみ戸室リサイクルプラザ乗り入れ便も
登場しました。
当初は幕は作られていなかったためプラ板を出して運行していましたが、
06年ごろに幕が新調されました。

▲プラ板です。



03年9月の運行開始当初は、朝の金商高校経由医王山スポーツセンター行き
も戸室リサイクルプラザ経由でしたが、
平成18(2006)年4月改正でこの系統は消滅してしまいました。
ですので、この幕が使われたのはほんの数回だけだったと思われます。



東部営業所時代の医王山スポーツセンター行きの幕です。
東部の13系統の幕は経由地表記がすべて「小立野」のみとなっていました。

この幕はほくてつバスにも受け継がれました。



こちらは金中が担当するようになってから作られた幕で、
朝の金商高校経由便以外の旭町経由の便はこちらの幕を使用しています。



東部時代の中型車の小型幕の頃はこのような幕を使用していた
と思います。小型幕なので、どうしても2段表記になって
しまったのでしょうが、こちらのほうが見やすいのでは。。。?



LED幕はまた表記が少し異なっており、幕とは異なり「小立野」表記が入っています。
こちらも朝の1便でしか見ることができません。

画像の元京阪バスも今では懐かしい車両となっています。



医王山登山口行きのローマ字入り幕です。
これは東部時代に作られたもので、ローマ字なし幕も同じ表記でした。
この幕もやはりほくてつバスに受け継がれました。



医王山登山口行きのLED幕は金中バス担当になっても小立野のみの表記でした。
なお、金中のLEDががまだローマ字併記なしの時代でも、
13・14・88・90系統など、旧ほくてつバス担当路線は
ローマ字併記幕でした。



湯谷原行きの幕です。
朝晩に3往復が用意され、うち一往復は県庁前〜湯谷原間の
「シティライナー」として運行されています。



東部、ほくてつ担当の頃は経由地表記は「小立野」のみでした。

湯谷原止まりとなっているのは、その先まで運行しても利用者がいないから
だそうで、医王山のふれあいの里やスポーツセンターでの部活動の試合や
合宿のために学生に利用されていることでかろうじて存続している状態のようです。



一日一往復ですが、太陽が丘止まりの便も存在します。
なお、95系統も太陽が丘へは行きますが、ここが終点となるのは
13系統のこの便のみとなっています。
画像の幕は金中担当となってから作られたものです。

この系統は平成9(1997)年に誕生しています。
ただし、純粋な新設ではなく従来の医王山行きを太陽が丘止まりとなったものです。



東部・ほくてつ時代の太陽が丘行きの幕です。



現在の金沢駅行き幕です。番号以外の表記は14系統と
違いはありません。

一時期は金沢駅まで走る便は少なく、朝夕にのみ見られるものでしたが、
平成20(2007)年4月より全ての便が金沢駅まで延長されています。



平成10(1998)年ごろから13,14系統共通の幕に合理化されました。
番号なし、白黒幕なのは他の東部営業所担当路線と同じですが、
できれば「小立野/香林坊 金沢駅」といった幕にしてほしかったのですが…



14番から13番となってからも金沢駅行きの幕の経由地表記は
「香林坊」でした。



14番時代の金沢駅行きの幕です。



平成に入ってからは兼六園下行きと金沢駅行きの2種類で
運行していましたが、平成11(1999)年から翌12(00)年にかけて
兼六園下止まりの便が香林坊まで延伸され、利用者の利便が図られています。

…本来なら金沢駅まで全便走れよ、と思うところですが
それ以前の兼六園下止まりは乗客のほとんどが乗り換えを強いられていたことを
考えればこれでもずいぶん改善されたといえます。

画像の幕は金中担当となってから作られた幕です。



香林坊止まりの幕も14系統と共通のものが作られ、
東部営業所時代末期とほくてつバス時代に使用されていました。



兼六園下止まりの便もまた現在では消滅しています。
このローマ字併記幕は東部時代の車両に入っていたもので
(ローマ字なし幕も同じ表記でした)、
金中バスでは新調されませんでした。

このほか夕方の湯谷原発小立野二丁目行きといった区間便もかつては
用意されており、幕も作られていました。
「13小立野二丁目」、という幕だったそうです。


(09.9.30 更新)

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