14田上住宅線
|
 |
本数は少ないですが、
こちらが「田上住宅線」を名乗っています。
鈴見線ではなくてこちらが本家だということを
さりげなく主張しているように思います。
画像の幕は金中担当となってから作られたものです。
誕生は、医王山線よりもはやく昭和30(1955)年10月で、
金沢駅〜下田上間の運行でした。この直後に国鉄バスも参入してきています。
くわしくは、
もりさけてんさんのサイトをご覧ください。
市電廃止の昭和42(1967)年2月時点では15往復があり、
さらには金商高校までの区間便が日中にも存在していたそうです。
そして翌43年11月にはこの区間便は消滅しますが、同時に
終点が田上支所前(田上出張所前か)から田上住宅へと延長されています。
下田上終点がいつ田上支所終点となったのかは分かりませんが、
おそらく医王山線開業のころではないでしょうか。
昭和49(1974)年6月改正で金沢駅〜香林坊〜田上は4便減の21便になり、
金沢駅〜橋場町〜田上の6便と橋場町〜田上の2便は廃止されました。
そしてかわりに武蔵ヶ辻〜香林坊〜田上9便と兼六園下〜田上、小立野〜田上各1便が
新設され、完全に香林坊中心のダイヤとなりました。
この年は多くの橋場町経由系統が終焉を迎えていますが、武蔵ヶ辻の地位
向上と相対的に橋場・尾張町の地位の低下が背景にあると思われます。
昭和50(1975)年には現在に続く「14番」の番号を与えられます。
この時、13番の番号は鈴見線に与えられたため、医王山線も14番を
名乗っていました。医王山線が13番を名乗るのは、昭和59年のことです。
昭和54(1979)年11月には、田上地区の発展に伴い鈴見線とともに
増便され、これまでの23便から30便に増加しましたが、
そのかわり日中の便が武蔵ヶ辻行きから兼六園下止まりとなり、
十全病院からの利便性は低下してしまいました。
田上地区では鈴見線が増便され、香林坊・金沢駅への足はこちらがメインとなった
のがこの改正です。
|
▲金中担当となってからは田上線でよく見かけた131号車。
その後も田上線の大半が香林坊または兼六園下発着となっていましたが、
平成11(1999)年から12(00)年にかけて兼六園下発着便はすべて
香林坊へと延伸され、
さらに平成19(2007)年4月改正では全便が金沢駅発着となっています。
田上線の担当は東部営業所で、80年代からは中型車を使用していましたが、
平成13(2001)年3月、車両ごとほくてつバスへと移管され、元周遊号
なども活躍していました。
平成15(2003)年4月には、北鉄金沢中央バスへと移管されて現在に至ります。
そして平成21(2009)年5月改正では田上地区で経路変更が行われ
加賀田上経由となり、田上出張所バス停が廃止されています。
|
昭和59(1984)年以前の小型幕時代の田上行きです。
医王山線同様、やはり経由地表記が「香林坊」となっています。
この時代はまだ鈴見線が13番だったので見分けがつきにくかったのでは、
と思うのですが…
 |
|
大型幕化されると経由地表記は「小立野」となりました。
これも医王山線と同様で、
この表記はほくてつバス時代まで受け継がれましたので、
田上線といえばこの幕、と思う方も多いのではないでしょうか。
車両も画像のようにほくてつバス担当の頃までは日野の中型車が運用されていました。
|
 |
朝に片道1本のみ運行していたの金商高校行きの幕です。
かつては日中もこの便があったといいますが、
それも数十年前のこととで、長らくこの便は時間も
ほぼそのままで金商高校の学生輸送に当たっていました。
しかし残念ながら平成20(2008)年12月改正でこの便は消滅しました。
最近ページ修正をするごとに「…だった」、「…していた」
表記に書き換えていくのが
なんともいえない寂しい気持ちです。
この幕は金中担当となってから作られたもので、
やはり「香林坊/小立野」表記です。
|
小型幕の頃はやはり「香林坊」表記でした。
 |
|
で、こちらも大型幕化してからの幕なのですが
経由地表記は「小立野」で、ローマ字幕もこの表記で作られ
ほくてつバス担当時代まで使われていました。
|
ローマ字併記になるまでの金沢駅行きの幕は
経由地表記は「香林坊」となっていました。
98年ごろから幕の合理化が行われ、金沢駅行きの幕も
13系統と共通の白黒幕となりました。
この幕はほくてつバス時代も使われてしました。
金沢駅行きの幕も金中担当となってから新調され、13系統とは別の幕が
ご丁寧にも用意されました。
そして平成19(2007)年4月に全便が金沢駅発着となったため、現在14系統で
見れる幕はこの幕と田上行きの幕の2種類となってしまいました。
金中担当になってから数年は29−131がよく運用に入っていました。
鰻で有名な「杉本水産」の広告が側面・後面全てに入っており、
この写真にも写っています。ですので、
一部の人の間では、131号車は「うなぎバス」と呼ばれていたりもしました。
昭和54(1979)年頃まで存在していた武蔵ヶ辻行きの幕です。
その後は香林坊または兼六園下止まりに短縮されてしまっため、
わずか五年ほどしか見れなかった幕です。
香林坊発着が長らくメインでしたが、この写真の撮影
された昭和60年もそうだったのでしょう。
東部営担当時代ですが、この頃はまだカラー幕で、現在の
金中のものと同じです。
「ワンマン」がデカデカと書かれているあたりが
時代を感じますね。おそらく廃車寸前だったと思われます。
画像ご提供:H−199さん
東部時代末期とほくてつバス時代の幕です。
シンプルに「香林坊」のみの幕ですが、
こちらよりも下の幕がよく使われていたような気がします。
13系統の香林坊行きと同じ幕が14系統の香林坊行きでも使用されていました。
金中担当となってからは香林坊行きも13系統と別の幕が
これまたわざわざ新調されました。
しかし、平成19(2007)年4月改正で全便が金沢駅まで延伸され見納めになっています。
ローマ字なし幕の兼六園下行きには経由地表記はありませんでした。
一時期はけっこう兼六園下行きが多かったものですが、利用者はさぞ不便だった
ことでしょう。。。
兼六園下行きの幕は13系統では使われず、16系統と共通となっていました。
これも98年以降の東部担当時代と、ほくてつバス時代に見られたものです。
(09.10.5 更新)
=========================================
==========
トップへ戻る
【方向幕博物館】13医王山線
【方向幕博物館】92鈴見線