18花里線



最も頻繁に見ることができる系統番号といえば、この18番ではないでしょうか。
若干本数は減りつつありますが、おおむね15分間隔で運行されています。

幕は、現在最もよく見られる「花里」表記の幕です。
95年ごろまでは経由地表記は「本多町」だったのですが、
ローマ字表記の幕が普及するようになると、93年式以外の車両は
みな「花里」表記に変更されました。(金沢駅行きは今も昔も本多町表記です。)
ところが、06年ごろに新調された幕から再び「本多町」表記の幕が
登場し、またLEDも同様であることから、逆に「花里」表記の車両
は減ってきています。


▲LEDの経由地表記も、「本多町」となっています。
  08年2月、今は無き香林坊仙石通りバス停にて。


18花里線は、昭和39(1964)年8月に開業しました。
しかし、経路は現在とは程遠く、金沢駅〜香林坊〜小立野〜花里住宅前
(花里住宅前は現在とは異なる位置)でした。
当時は、犀川大通りがまだ開通しておらず、
花里方面の住民は一度小立野に出なければいけませんでした。
ちなみに現在18系統のエリアである本多町・幸町・川上方面は笠舞線が、
涌波・末方面は犀川線(当時は才川線)が走っていました。

昭和42(1967)年2月の市電廃止時には、
金沢駅発が7往復、香林坊発が4往復あったようです。
本数もまた、現在からは想像できないほど少ないものですが、
当時は笠舞線が15分間隔で存在していたため、
こちらを18系統のご先祖としたほうがよいのかもしれませんね。

▼昭和42年2月改正後の系統図です。


昭和45(1970)年4月、いよいよ犀川大通りに花里線が乗り入れています。
(北国新聞にはこう書かれているのですが、犀川大通り開通はこの前年であり、
すでに住宅地図にはバス停名が書かれていることから、犀川大通り乗り入れは
昭和44年と考える説もあります。情報ご提供:もりさけてんさん。)

花里線は金沢駅〜香林坊〜本多町〜花里住宅口となり、
本数もラッシュ時15分間隔の36往復となります。
逆に笠舞線は日中30分間隔(ラッシュ時15分間隔)で36往復に減便されます。
このとき、両系統の立場は対等となり、以降花里線が幹線化していきます。

終点の花里住宅口は犀川大通り上となり、これまでの終点だった
花里住宅前と花里口(三口新町の交差点をさらに大桑方向に下った
所にありました。詳しくはもりさけてんさんのサイトをご参照ください。)
は廃止されています。

▼昭和45年の系統図です。


ところで、この改正で終点が「花里住宅口」となっていますが、
この停留所が現「花里住宅」であるようです。しかし、
当時から「花里住宅前」と書かれた地図も存在することから、
どちらが正しいのかは不明です。
両方を信用するならば、旧「花里住宅前」が存在していた頃は、
新道上は「花里住宅口」で、このダイヤ改正の時に「花里住宅前」に
名称変更しているのではないでしょうか。

終点バス停を新道上に移設したのは、
おそらくワンマン化のためだと思われます。

また、この花里住宅口は当時は乗車扱いのバス停だったようで、
降車は「小野陽風園前」(と、地図には記載されています)で
行っていたようです。


▲90年代半ばまでの花里線はこのような姿でした。

さて、花里線は延伸を続けます。
昭和49(1974)年2月、これまで涌波を走っていた才川線が
現行の土清水・錦町経由変更されたことに伴い、
花里線は涌波(2丁目?)まで延伸し、本数も20分間隔になります。
さらに6月には、東部車庫完成に伴い同所まで延伸し、ほぼ現在の路線となります。

この「涌波」は「小野陽風園前」の次のバス停で、旧道上に
位置しており、現在の涌波三丁目がこれに相当するものと思われます。
しかし、この頃には花里から大道割まで犀川大通りが完成しており、
東部車庫延伸時はすでに「涌波」は経由していなかった可能性もあります。

▼昭和49年6月改正後の系統図です。


そしておそらく、犀川大通り経由に移行するさいに「涌波」が廃止
され、涌波一丁目と涌波二丁目が新設されたと思われます。
ただし、この涌波二丁目は現在の「涌波三丁目」の場所に存在しており、
昭和61年ごろに現在の位置に「涌波二丁目」が移設されたときに
「涌波三丁目」に改称されて現在に至っています。




数学教師さんより、またまた貴重な画像をいただきました。
金沢女子短大の幕があることから、昭和56年から
昭和59年の幕のようです。

昭和50(1975)年4月より、花里線は90番を与えられ、
錦町線などとは異なる方面として区別されていました。
しかも緑色幕ではなく白黒幕で、これは当時の80番台とも
同じ色でした。

当時はまだ花里住宅〜金沢駅の便が約3分の1を占めており、
花里発の金沢駅行きは経由地表記なしの幕を、
東部車庫・金沢女子短大発の金沢駅行きは「花里」表記の
幕を使用していたようですね。

経由地表記は、花里(カラー幕当初)→本多町(緑幕、大型幕)
→花里(ハイグレード車)→本多町(06年ごろから、また
LEDもこの表記)
と変遷していることが分かり、興味深いところです。

昭和56(1981)年3月には金沢女子短大(現・金沢東高校)まで延伸されます。
そして昭和59(1984)年11月に永安町バス停が新設されます。
(と、社内報にはあるのですが、路線図にも住宅地図にも既に記載があり、
しかも永安町と名乗る前は「末北口」として存在しているので、
この記述は誤りであると思われます。いったい何と間違えたのか気になる
ところです。。。)

昭和62(1987)年2月には金沢女子大学(現・金沢学院大学)まで延伸されています。
この頃には本数も15分間隔となり、花里止まりの便も消滅しています。

なお、昭和59年に色別方向幕の再編が行われ、
花里線は現在の18番を与えられ、晴れて(?)緑幕となっています。

16番と18番の間がなぜか空いており、
幻の「17番」が存在していたのではないか、とも噂されたりも
しますが、この時代の路線図は全て調べましたがそのような記述は
なく、時刻表(昭和61年だけ未見)にもそれらしき系統はありません。

おそらく一つ番号を空けてあるのは、もともと18・19番が異なる
方面として扱われていたためではないか、あるいは後々に路線を新設
するときのための準備ではないか、というのが最も有力な説となっています。



朝を中心に見ることができる東高校行きの幕です。



午前中を中心に見ることができます。
が、こちらも数を減らしてきています。



2つ上の画像も同じ417号車ですが、幕が新調されたため、
現在では経由地表記は「本多町」となっております。



県庁移転の03年1月より、これまでは朝のみ金沢駅から県庁前・中央病院まで
延長運転されていたものが、夕方の東部車庫方面行きも運転されるように
なりました。
この便のみ、「18番、シティーライナー便、本多町経由…」と
放送しており、これはほかの路線でも共通です。



本多町経由表記の東高校行きです。東部車93年式のほかにも、
いちおう南部車にも入っていますが、あまり見る機会はないかも知れません。



本多町経由表記の学院大行きの幕です。
この幕は東部車には93年式のみにしか入っていません。



かつては平日には南部の車両が花里線や錦町B線を走るため、
ふそう車の18系統も見ることができました。
南部車はすべて「本多町」表記です。



08年4月改正にあわせて新調された幕は、「金沢学院大学」となっています。
そしてやはり経由地表記も「本多町」となっております。

画像:若原さんご提供。



なぜかここ数年はLED車ばかりが走っているので幕の撮影は厳しいかもしれません。
かつての花里線とは逆に、本多町から小立野台へと上がって行きます。


▲同じ幕でも、製造時期によってフォントが異なっています。 現在のものは左側の幕です。




数年前までは香林坊発着の快速便もありました。
停車停留所は、
香林坊・県庁前(現・広坂)・本多町・猿丸神社前・赤坂・
花里住宅・永安町・東部車庫・金沢東高校・金沢学院大学でした。
現在ではスクールバスに取って代わられました。



金沢東高校行きの快速便も存在していました。
花里線では、「急行」は通勤客向けですが、
「通快」は「通勤快速」ではなく、「通学快速」の略のように
思います。。。



金沢東高校が女子大附属高校だった頃の幕です。
この通快を野々市営が担当していた便もあったそうで、この画像がそれです。
ほかにも柳橋営も朝夕に数本走らせていたように思います。

画像ご提供:助ける役 さん。



東部車庫行きの快速は、夕方に運行されていました。



柳橋や西部の幕は、経由地表記が「花里」でした。



かつては東部便もカラー幕で「18金沢駅」を掲げていましたが、
現在では南部車に残るのみです。
数年前の一時期日中にもかなりの便を南部が担当していたこともあり、
最近ではそこまで違和感はありませんが、やはり18系統は日野車が似合います。



柳橋と西部の幕は、金沢駅行きの幕も「花里」表記となっていました。



383号車と442号車の2台のみ入っている幕でしたが、
383が廃車になり、その幕をほかの車両に移植したり
07年に新たにいくつかの車両に新調した幕を入れたため、
最近ではしばしば見ることができるようになりました。



現在最もよく見られる18系統の上り便の幕です。
あまりにも頻繁に見られるためか、これまで1度も撮影したことがなく、
この写真も07年5月にあわてて撮影したものです(^^;)



実在していたかはいまひとつ分かりませんが、
とりあえず快速便の幕も存在はしていたようです。



こちらは確かに存在していました。
主に下校時の運行だったと思います。
とても一般人が乗る隙間がなかったように記憶しています。
なお、かつては西部営もこの路線を数本走らせていたそうです。



柳橋と西部の幕は「花里」表記でした。



94年ごろに新設された系統です。
こちらは朝に東部地区→金沢駅へと通勤される方を対象としたものです。
停車停留所は、
末・永安町・花里住宅・赤坂・猿丸神社前・本多町・県庁前
・香林坊・南町・武蔵が辻でした。
平成16(2004)年改正で普通便に置き換えられています。

画像:助ける役さんご提供。



06年ごろに新調された幕です。
2000年以降、東部の市街地方面行きの幕は
白地黒字のシンプルなものに統一されていましたが、
最近では番号こそないものの、再び緑色のものを
採用するようになっています。
この幕は、18番でも10番でも使えそうですね。



柳橋と西部の幕は「花里」表記となっていました。



香林坊行きは経由地表記もなく、ただ単に緑色になっただけです。
東部の幕はシンプルなものがほんとうに多いです。
経由地表記も、たいていは1つしか書かれていません。


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