20平和町線 22大桑線
現在の平和町線の幕です。
平成13(2001)年3月改正で、平和町線の担当が柳橋営から
西部営へと変わった時に新調されたものです。
平和町行きの幕は現在はこの1種類のみです。
終点は「平和町」であり「市立病院前」でもあるのですが、
「平和町市立病院」という名称ではないので、
(平和町市の市立病院という意味になってしまいますし)
かつての幕のほうがよかったと私は思うのですが…
なんにせよ、北鉄一のドル箱路線であることは
今も昔も変わりません。それなのにLED幕改造されてない
バスが今も多く走り、伝統の本町・六枚町経由を今なお守り続け
ていることが面白いですね。
▲出番の少ないCNGバスは平和町線専属です。
また、常に新車が投入される路線としても有名です。
2000年以降はとくに顕著で、北陸鉄道の新車は
まず平和町線で使用されて、翌年につぎの新車が入ってくると
分社に移籍、というのが定番です。
89年1月改正まで使用されていた幕です。
なんともシンプルな幕ですね。
この幕は昭和59(1984)年11月に「新バスシステム」が
初めて平和町線で導入されたときに目玉として導入された
エアロスターに入っていたものです。初の大型方向幕でした。
金沢駅〜香林坊〜平和町という系統の初見は昭和42(1967)年2月、
市電廃止に伴う改正です。この時は野田線の一部という扱いになっています。
ただ、このとき既に「バス停の中心である平和町のほうが寺町1丁目よりも
活況を呈している」との記事が新聞にありますので、これ以前から
金沢駅〜平和町という系統はあったのではないか、とも思われます。
このときはまだ「野田線」の一部としてしか扱われておりません。
ただ、資料によっては、市電代替系統として金沢駅〜平和町の系統
ができた際に「平和町線」という名称が与えられたとするものも
あり、定かではありません。
その昭和42年2月改正では、
金沢駅前〜香林坊〜野田 :61往復
兼六園下〜香林坊〜野田 :2往復
金沢駅前〜香林坊〜平和町:58往復(日中15分間隔)
金沢駅前〜(快速)〜平和町:13往復
金沢駅前〜香林坊〜寺町1:3往復
兼六園下〜香林坊〜平和町:1往復
合同庁舎前〜香林坊〜平和町:8往復
となっています。
▲常に新車が投入されるのは今も昔も同じです。
翌昭和43(1968)年11月改正では、『平和町線』でワンマンバス
運行開始とあり、このときまでに平和町線という名称が与えられたのは
確実です。またこのときラッシュ時5分間隔、日中10分間隔に
増便されています。反対に野田線は20分間隔となり、さらに香林坊
発着となっており、2路線の立場が逆転しています。
おそらく、この頃平和町線は柳橋営、野田線は東部営、と分けられた
のではないでしょうか。
さらに昭和45(1970)年3月には、
平和町線が97往復から117.5往復に増便されています。
おそらくこのときが最も平和町線が輝いていた時代だったと
考えられます。いっぽう、いつのまにか三子牛まで延長されていた
野田線は32往復から47往復に増便されラッシュ時10分間隔、
さらに金沢駅発着に返り咲きました。これは平和町ならびに
新興住宅地つつじヶ丘の人口増によるものと思われます。
▲08年の新車はラッピング車でした。こういう試みも平和町線から。
画像:CHさんご提供。
昭和50(1975)年には現在にも続く「20番」が与えられ、
オレンジ幕になりました。余談ですが、20余年のちに沿線の
二水高校のスクールカラーがオレンジ色に制定されたのはバスの
幕の色のイメージも少なからず影響しているのでは、と私は勝手に
考えていたりします。。。
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平成元(1989)年6月、平和町・市立病院前発着となりました。
これまでは現在の平和町市立病院入り口に転回場があり、
バザール(現.チューリップ)の横に誘導員の小屋があったそうです。
誘導員がいないと転回できなかったため、
彼らが出勤する前の早朝の2本は寺町一丁目が始発になっていました。
なお、この状態は市立病院ロータリー完成後もなぜかしばらくは
続けられていたようです。
(情報ご提供:CHさん)
このような事情もあってか、過去にも平和町線の転回を
団地内一周で行おうという案がありましたが、団地内住民の
「団地の中をバスが走るのは危ない」という声により消えています。
このため、平和町内の転回場を使用していたということですが、
これ以前は野田まで回送して転回していたそうですから、
なんとも無駄な話ですね。
この野田の転回場跡(?)はなんとなく現在も交差点に
残っているように思います。上りバス停の位置も
やや不自然な位置にありますし。。。
市立病院乗り入れで幕も新調されております。
(画像:助ける役 さんご提供)
また、平成14(2002)年4月改正より、市立病院バス停でも
乗車扱いをするようになります。
二水生の中で、これを知っている生徒は「勝ち組」で、
座席にありつけるという特権(?)を手に入れていたのでした。
市立病院行きの幕は2種類が用意されていました。「市立病院」を小さく
表記するこの表記は、ローマ字幕にも受け継がれています。
ローマ字併記になってからは上と下の2種類がいずれも柳橋営で使用されて
いました。この幕は83系統と同じ表記方法ですね。
ノンステップバスにはこの幕が使われていました。
バスジャパン「北陸鉄道」の表紙にはこの幕が写っています。
横幕。。。「本町」の表記が入っていない、少し昔のものです。
平成8(1996)年改正まで朝の快速便に平和町行きも
存在していました。
停車停留所は、金沢駅→武蔵ヶ辻→香林坊→片町→
→広小路→十一屋→平和町
となっていて、二水生の利用が多かったことが見て取れます。
通勤快速の横幕です。
平和町行きの場合は寺町一丁目には停車しないのですが、
幕に矢印が書かれていないため、両方向で使われていた幕
ではないかと思われます。
切り継ぎした跡が残ってしまいましたが。。。
現在の金附行きの幕は東部、西部ともにこの1種類のみ
となっております。
柳橋営時代の幕です。
金大附属学校移転に伴い、平成7(1995)9月に路線
延長されています。バス停名称は「金大附属学校前」に
したかったそうですが、沿線住民は「自衛隊前」の名称
に愛着を感じており、断固反対とのことで現在の名称に
落ち着いた(?)のだとか。
大桑線は、昭和58(1983)年11月に新設されています。
現在では平和町線の派生系統のような運用となっていますが、
運行当初は兼六園下発着で、丸の内経由で香林坊へ出ていました。
担当も東部営業所でした。
90年1月改正で担当が柳橋営業所に変更となり、
平和町線を延長、という形で金沢駅発着となりました。
この改正では、東部営関係の路線では辰巳丘高校へと乗り入れがなされており、
勤務時間の関係や車両都合から柳橋営へと移管されたものと思われます。
▲ラッピングされた車両も活躍中です。 画像:CHさんご提供。
2001年3月より現在のように西部営担当となり、
幕も現在のものになりました。
経由地表記は「香林坊/平和町」となっています。
ちなみに西部担当の25系統と、21つつじが丘系統も同じ経由地表記です。
柳橋時代の幕です。柳橋担当の平和町方面路線の幕は
経由地表記がすべて「寺町」で、金沢駅方面はすべて経由地表記が
「香林坊」となっていました。
平成13(2001)年3月、ほくてつバス誕生に伴う
担当営業所変更で、長らく担当してきた柳橋営の手を
離れ、現在の西部営担当となりました。このときに幕が
新調され、利用者の意見を受け入れて「六枚町」経由で
あることをきちんと表記したものとなりました。
かつてはほとんど全ての路線が六枚町経由だったのですが、
これも時代の流れでしょうか。
▲東部車が平和町市立病院前で発車を待つ。
この年以降、西部のほかにも東部が20系統にも入るように
なりました。これは運用の効率化を狙ったものと思われます。
平成16(2004)年改正で東部担当の20系統が増加し、
画像のように現在も見ることができます。
柳橋営時代の金沢駅行きの幕です。
こんな車両が走っていたのは何年前でしょうか。。。
92年ごろまでは主力だったように思いますが、
その後も予備車として01年ごろまでは見ることができました。
今となっては懐かしいですね。
金沢駅行きの快速便は平成15(2003)年4月まで存在して
いました。
停車停留所は、平和町→十一屋→寺町一丁目→片町→香林坊→
→南町→武蔵ヶ辻→金沢駅でした。
▲下校時の平和町バス停。すぐに満員になります。
快速便がなくなった後も朝の平和町方面は十分な本数が用意
されているのですが、下校時の金沢駅方面は05年より減便されており、
年々悲惨さが増しています。
土曜日にも授業があるので、平和町12:00ごろの金沢駅行き
は超満員となり、十一屋、寺町は通過。
次の便まで06年より15分も空くようになり、ようやく
やって来た15分後の便も満員通過、さらにその15分後の
便も満員通過と、ようやく乗れたのが12:45の便だった
こともありました。
45分あれば金沢駅まで歩くのとほとんど変わらないのですが…
▲西部担当になっても、平和町線を走るのは三菱車がメインですね。
しかし、まさか20分間隔の時代が来るとはその当時も
予想だにしませんでした。
「これ以上減らして何がしたいげんて?」
と問いたいです。
現在の二水生は、自転車利用あるいはマイカーによる送迎が
ますます増えているそうです。
せめて12分間隔にしてほしいと思います。
確かに私が利用した3年間でも乗客の減少は顕著でしたが、
減便すればますます利用者が減るわけでして。。。
20系統の幕のあいだにこのような幕も入っていました。
これが快速用の幕だったのでしょうか。
香林坊の下には全く見当違いなバス停名が入っていたという
話を聞いたことがありますが、謎のままです。
平成12(2000)年3月に、モーニングダイレクト便として
金大附属学校〜広小路〜新神田〜金沢駅西口〜中央病院
という系統が誕生しました。当初から夕方の便も用意され、
香林坊を通らないという異彩の系統です。
いちおう20系統ということらしいのでここで扱っておりますが、
中央病院行きは64番、金附行きは無番号となっています。
登場当初から県庁移転の平成15(2003)年1月まで
この幕が使われていました。なお、この頃は路線図にはこの
系統は描かれていませんでした。
画像のように、現在は全LED幕では再び64番を掲げています。
(画像:若原さんご提供)
経路が経路だけに、平成15(2003)年1月の県庁移転に
伴い、幕も黄緑色のものに新調され、「県庁前」強調のもの
となっています。
通学、通院路線が一気に県庁通勤路線に早がわりしたという
なかなか見られない変遷の持ち主です。
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