30・31額住宅線



金沢南部地区の主要路線として、古くから活躍している30系統の幕です。
幕は、最も基本的な光が丘行きで、現在でも見ることができますが、
近年の新車導入によってかなりその数を減らしてきています。

額住宅線の名称は市電廃止時に誕生していますが、経路は
兼六園下〜有松〜二万堂〜野々市〜額団地
というもので、路線名こそ額住宅線ですが、こちらはむしろ
三馬線の前身として考えることができます。

経路的に前身となる路線は、昭和37(1962)年に開業した高尾住宅線で、
金沢駅〜春日町〜兼六園下〜香林坊〜泉野3丁目〜高尾住宅(現.高尾新町)
という驚きの経路を辿っていました。
本数は30往復だったといいますから、およそ30分間隔だったのでしょうか。


▲80年代の光が丘行き。円光寺にて撮影。
 画像:H−199さんご提供。


市電廃止の昭和42(1967)年2月改正では、
金沢駅〜武蔵ヶ辻〜香林坊〜泉野3丁目〜高尾住宅
となり、現在の路線の形に近づいています。
これ以前に金沢駅から泉野3丁目へと向かっていた人からしてみれば、
当然の改正だったと思うのですが、春日町から円光寺方面へ行く人も
この当時は多かったのでしょうか。
過去の路線の中でも、この初代高尾住宅線は不思議な経路を辿っていますね。

昭和44(1969)年11月には、額第二団地(額第二住宅と書かれている資料も
あり、どっちが正しいのかどちらも正しいのか。。。)まで延伸されており、
いよいよ「額住宅線」らしくなっていますが、
このときはまだ高尾住宅線を名乗っています。
額第二団地は現在でも通用する名称ですが、バス停で言うと
現在の光が丘住宅に相当します。


▲終点光が丘住宅にて。

翌年11月にはさらに額住宅駅へと延伸を果たしています。
これは、三馬線が額住宅へ行かなくなり工大前までの運行となったためです。
しかし、これでは南野々市や馬替の利用者が不便になってしまうため、
当時の新聞では「高尾住宅線を額駅まで延伸して…」としか書かれていませんが、
おそらくこの時(あるいはこの直後か)に野々市車庫まで延伸しているのではないかと思われます。

ここで経路変更・延伸を繰り返した額住宅線もいったん落ち着き、
金沢駅〜泉野3丁目〜高尾住宅〜光が丘〜額住宅駅〜野々市車庫
という形で昭和50(1975)年の色別方向幕を迎えます。
(ちなみに光が丘から先の停留所は、額大橋、額新町、額住宅駅、馬替、南野々市、
西野々市、野々市車庫 となっていました。当時の額住宅線は15分毎の運転で、そのうち
野々市車庫まで走る便は1時間に1本が運転されていました。)


▲当時の横幕です。「高尾住宅」は「高尾」と略されています。

▲朝には快速便もありました。円光寺までは各停で、泉が丘、泉1丁目、
 広小路、香林坊、南町、武蔵ヶ辻に停車していました。


額住宅線には、現在も続く30番が与えられていますが、
昭和58(1983)年秋から84年春までには再編が行われ、額住宅駅〜野々市車庫は
カットされ、さらに金沢駅からの便も泉野3丁目経由の光が丘行きと
有松経由の額住宅駅行きに分けられています。
新系統として誕生した額住宅駅行きには32番の路線番号が与えられました。

なお、この改正では野々市車庫〜額住宅駅間の救済として
大額二丁目〜矢作北〜野々市車庫の通称「大額線」が誕生しています。
これは、30系統の野々市車庫への入庫路線のようなもので、
平成14(2002)年ごろまで存在していました。

額住宅駅行きに与えられた「32番」は非常に短命で、
84年11月の路線番号再編によって現在の31番に変更されています。
(それまで31番を名乗っていた円光寺線は32番に変更され、現在に至っています。)


▲国際ホテル経由の光が丘行き。香林坊にて。


額住宅線は現在でも20分間隔を維持しており、
幹線の面目を保っています(土日は08年12月より減便されていますが…)。

額住宅線、円光寺線などの南部地区の路線の変遷はこちらもあわせてご覧ください。
【特集】金沢南部地区路線の変遷




担当は、野々市営業所が長らく担当してきましたが、
96年より南部営業所の担当となり、現在に至ります。



光が丘行きは一貫して泉野3丁目・光が丘口経由で運行されてきましたが、
平成10(1998)年3月より国際ホテル経由の便も登場しています。
本数もほぼ毎時1本あり、国際ホテル前バス停では光が丘の住民の利用も見られ
それなりの利用者がいます。



鶴寿園行きは昭和59(1984)年頃に新設されています。
現在は国際ホテル前経由となっていますが、当初は光が丘行きと同様に
大額二丁目まで走り、大額3丁目の次はノンストップで鶴寿園に至っていました。

現在もこの大額二丁目を経由する鶴寿園行きには同じ表記のローマ字入り幕が
使用されています。



昭和61(1986)年10月に、新設の「高尾南2丁目」「大額新町」経由の
鶴寿園行きも新設されています。
そのため、幕も光が丘口経由のものと異なったものが用意されましたが、
当時はまだ国際ホテル前バス停は存在しておらず、そのため経由地には「円光寺」
が入っていました。



現在は国際ホテル前経由がメインとなっています。



平成15(2003)年4月には30系統にも南部車庫行きが
朝晩を中心に新設されました。
この系統は光が丘住宅には入らず、大額2丁目より先は33系統と同様の
経路で南部車庫を目指します。

これで南部車庫へ行く路線が、
「有松・寺地」経由・
「有松・円光寺」経由・
「泉野3・円光寺」経由・
「泉野3・国際ホテル」経由
の4系統となり、南部地区の路線がますます難解なものとなりました。



こちらも同時に誕生した国際ホテル経由の便です。
本数も少ないので、幕を見る機会はこちらのほうが少ないかもしれません。



昭和58(1983)年の有松経由の額住宅B線誕生後も、30番を名乗りながら
有松を経由する光が丘行きが朝晩に限り存在していました。

そのため、30番と31番の違いの定義は経由地ではなく
額住宅駅・下森島行きが31番で、それ以外は30番という分け方になっていました。

ところが、だんだん系統が複雑になっていくにつれて
下森島→泉野3丁目→香林坊・小立野という便も登場し、こちらは31番ではなく
30番を与えられるなど、このあたりからおそらく北鉄自身も
よく分からなくなってきたのではないかと思われます。

そこで平成18(2006)年4月改正では、
有松経由はすべて31番、泉野3丁目経由はすべて30番としました。
これによって路線番号の定義がはっきりしました。

画像は、「30番」時代の有松経由光が丘行きの幕です。



03年から06年までの間だけでしたが、
「30番」の有松経由南部車庫行きも存在していました。



285号車が新車で野々市に入ったころは幕は画像のようになっていました。
正しくは「光が丘」なのに「光ケ丘」となっています。
この誤植はすぐに修正されているので、知らない方も多いのではないでしょうか。

画像:H−199さんご提供。



こちらは31系統(額住宅B線)の幕で、30系統とは異なり昔からずっと金沢駅発の便のみです。
31系統はいたってシンプルなので、幕もごく普通に見ることができ、
(とはいっても2種類しかありませんが、)
担当営業所も野々市→南部のままですが、近年やや間引かれている気がします。

誕生は昭和58(1983)年頃と、意外と新しく当初は32番を名乗って
いましたが(この当時31番は円光寺線でした)、
昭和59(1984)年11月からは円光寺線を押しのけて31番を名乗っています。


幕は登場時からローマ字併記となったこと以外は変化がありません。



平成9(1997)年4月に一部便を延長して、
鶴来町の下森島まで走るようになりました。
これで青幕が鶴来地区にも進出したことになりますが、
実態は南部車庫への出入庫も兼ねているのではないでしょうか。
(…だとしても中途半端な終点ですね。なにか理由があるのでしょうか。)

なお、LED幕では「森島」表記となっています。
(ただし、「下森島」表記のLEDを見たとおっしゃる方もいらっしゃいますので、
もしかしたら両方とも入っているのかもしれません。)



こちらは深夜に1便あるのみの31系統の南部車庫行きです。



06年4月より誕生した「31番」の光が丘行きの幕です。



金沢駅行きの幕です。
市内方向へと向かう路線の幕は共通化が図られ、路線番号の表記が
なくなったり白黒幕となったりしていますが、30系統は泉野3丁目経由という
独特の経路を辿るため、今も昔も同じ表記の幕が使用され続けています。



426号車にのみ残っていたかつての幕です。
この幕を見て、かつての姿をしのぶことができたのですが、
07年のうちにローマ字入りのものに変えられてしまいました。

画像:フルーティさんご提供。

▲LED幕は、「泉野3丁目」が一行表記となっています。



こちらは国際ホテル経由の金沢駅行きの幕です。
1段に収めたため、泉野3丁目がちいさくなっています。



香林坊行きも最近まで存在しました。



先述の「30番」小立野行きです。
97年4月に誕生し、1年ほどはなぜか泉野3丁目経由でした。
現在では有松経由となり、さらに幕車での運行もほとんど見れなくなりました。

▲横幕です。



翌98年からは有松経由となり、番号も31番に改められています。

画像:H−199さんご提供。



いつの頃から存在していたのかは不明ですが、
光が丘から金沢学院大学(かつては金沢女子大学)までのダイレクト便が
存在していたようです。

該当便は光が丘7:28発の香林坊(8:01着)行きと、香林坊8:01発の
金沢学院大学(8:33着)だと思われます。
このように時刻表には記載がない不思議な系統だったようです。
このような便はほかにも四十万からのダイレクト便も存在していました。

元祖ダイレクト便とも言えるこの系統は、
平成10(1998)年より、寺町1丁目・猿丸神社前経由に変更され
時刻表にもきちんと記載される正式なダイレクト便として生まれ変わっています。

幕の表記の仕方も、ふたつの路線をそのままつないだ感が出ていますね。
さすがに当時は何色の幕にすべきか決めかねたようで、白黒幕となっています。

▲横幕です。



朝の金沢駅行き快速は、かつて(野々市が始発だった頃)よりも停車停留所を増やし、
平成に入る頃には新たに泉丘高校前と有松に停車するようになりました。
結果的に通過するのは泉二丁目と野町だけなので、速達効果があるのかは
やや疑問です。。。

幕は、ローマ字併記となる頃まで使用されていたものです。
泉1丁目の表記が2段となっていることが特徴です。

▲当時の横幕です。



「通快」が反転していない幕も存在していました。
「30」の数字部分も若干フォントが異なっています。



現在の通快便の金沢駅行きの幕です。
幕は32系統と同じものを用いています。



香林坊行きの快速便もかつては存在していました。

▲当時の横幕です。金沢駅のものと同じような表記です。



数年前まで使用されていた通快の香林坊行きの幕です。
現在でも幕が残っている車両も多く、幕回しの際に見ることができます。
金沢駅行きとは異なり、ローマ字併記になっても経由地表記は
「泉1丁目」のままでした。



平成10(1998)年に新設された急行便の幕です。
普段の経路を大きく外れて走る点が特徴ですね。

なお、経路はまったく異なりますがかつて(昭和50年代)にも急行は
存在しており、こちらは光が丘を出ると香林坊までノンストップでした。

画像の幕は、06年まで使用されていたものです。



06年に路線番号の定義が変更となり、泉野3丁目経由ではない急行便は
無番号となりました。
現在はこの幕が使用されていますが、かつての幕も残っている車両が多く、
幕まわしのさいに見ることができます。



カラー幕ですが、番号なしの31番の金沢駅行きの幕です。
この幕が作られた当初は32金沢駅の幕と共通でしたが、円光寺線の
ほうはほくてつバスに移管され全面LED幕となったため、31番
でしか見ることができなくなっていました。

しかし、08年4月に再び円光寺線が南部の担当となり、現在では
見る機会が多くなってきました。



上の幕になるまでのわずかな期間、下森島発の便はこの幕を掲げていました。
現在では見ることはできません。。。



画像が切れてしまっていますが…

ローマ字なしの幕がかつては主流でした。
また、前ドアの下には所属表記「野」のシールが、
それから「低床冷房車」のシールなど、時代を感じます。
前面の社番シールもかつては存在していませんでした。


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