32円光寺線 33・35金沢駅工大線
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円光寺線は、現在では朝を除きそのほとんどの便が
柳橋円光寺線・木越円光寺線となっていますが、
平成11(1999)年3月改正までは金沢駅〜有松〜円光寺〜工大前
を毎時2本運行していました。
90年代半ばまでは金沢駅毎時18.38.58分が泉野3丁目経由の30系統、
毎時28分が31系統、毎時08.48分が32系統となっていて、
金沢駅〜円光寺間は10分間隔の本数が用意されていました。
▲90年ごろの金沢駅にて。 画像:助ける役さんご提供。
円光寺線の誕生は昭和31(1956)年6月で、
金沢駅〜山科(現.窪付近)間で開業しています。
本数は67往復あったといいますから、
15分間隔ほどの運行だったのだろうと思われます。
市電廃止に伴う昭和42(1967)年2月改正では円光寺線は、
金沢駅〜香林坊〜円光寺 45往復
合同庁舎〜香林坊〜山科 15往復
合同庁舎〜香林坊〜円光寺 1本
金沢駅〜(快速)〜円光寺 3.5往復
金沢駅〜(快速)〜山科 1.5往復
野町広小路〜〜山科 4往復
となり、金沢駅発着便は快速を除き全て円光寺止まりとなりました。
この減便は、高尾住宅線が東大通り経由から武蔵ヶ辻経由に変更になったことや
寺町線(県庁前〜寺町〜地黄煎町(現.泉が丘)〜山科)の
新設(18往復)等で山科および錦丘高校への輸送力は十分、と判断されたためですが、
この変更には住民や錦丘高校PTAの反発もあり、改正直後は時差通学をお願いするなどして
通勤・通学ラッシュをしのいでいたようです。
この問題はわずか2ヵ月後の同年4月に円光寺線を山科経由で錦丘高校まで
延伸させたことで解決しています。
昭和44(1969)年9月には、工大前への延伸とワンマン化が行われました。
多区間運賃でのワンマン化は北鉄では初めてのことで、
円光寺でもワンマンバスが展示され、市民に乗車方法の説明を行ったりもしたそうです。
昭和50(1975)年4月には31番の番号を与えられます。
当時はまだ現在の31系統である額住宅B線が誕生しておらず、
そのため額住宅線の30番に次いで31番だったのですが、
その後昭和59(1984)年11月の番号再編の際に現在の32番に変更され、
現在に至っています。
▲幕を見る機会も少なくなってきました。 08年5月撮影。
本数は日中20分間隔で、ダイヤもとくに変化せずに10年近くが過ぎましたが、
昭和58(1983)年ごろに31額住宅B線(金沢駅〜有松〜円光寺〜額住宅駅)が誕生すると
毎時2本に減便されました。
まぁ実際は円光寺線のうち毎時1本を額住宅駅まで延伸して別番号を与えた、と
考えるほうが自然かと思います。
この改正では、これまで15分間隔で円光寺線との運転間隔は考慮されていなかった
30系統が20分間隔に減便され、金沢駅・香林坊〜円光寺間は三路線合わせて
10分間隔での運行という分かりやすいダイヤになっています。
その後はこのダイヤが15年以上続きましたが、
平成11(1999)年3月改正で、循環寺町線を系統変更した柳橋円光寺線と木越円光寺線が
誕生したことによって円光寺線は大幅減便され、朝ラッシュ時のみの運行となりました。
また、この改正では金沢駅から錦丘高校・工業大学へのアクセスもこの円光寺線から
新設の金沢駅・工大線(金沢駅〜有松〜寺地/久安大橋〜工大前)
に変更となっており、事実上円光寺線の役目はほぼこの時に終わったと考えられます。
担当は、野々市営業所→南部営業所を経て、平成16(2004)年4月より
金沢駅工大線とともにほくてつバス南部支所へ移管され、06〜07年には
すべてLED幕での運行となっていましたが、08年4月より再び
本体南部の担当に戻っています。
このため、一時期は見れなくなっていた幕での運行を再び見ることができるように
なりました。
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▲錦丘行きのLEDは幕と経由地表記が異なり、「有松」が追加されています。
余談ですが、円光寺バス停は金沢でも有数の
「乗車マナーのよいバス停」と言われています。
今ではそれほど人は乗りませんが、
かつてはバス停からきちんと2列に並んだ列が50mも続いていたといいます。
最近では、金沢駅でも(とくに3番乗り場)整列乗車が見られるようになりましたが、
当時ではとても珍しかったことでしょう。
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まだ31番を名乗っていたころの横幕です。
この当時は工大前行きがメインとなっていましたが、
錦丘便も区間便として残っていました。
この錦丘便は昭和53年時刻表では既に確認できないことから、
これ以前に消滅しているようです。
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昭和50年当時の横幕です。
31番、とあることから円光寺線のものと思われますが、
経路は寺町線(県庁前〜寺町〜山科)と同じです。
このことから、寺町線は昭和50(1975)年までには円光寺線の一部に
編入されているということが分かります。
この寺町線は、昭和42(1967)年2月の
改正で誕生しています。
県庁前〜寺町〜地黄煎町(現.泉が丘)〜山科という経路で、
本数は18往復が用意されました。
なお県庁前始発となっていますが、これはすぐに香林坊発着に変更となっているようです。
しかし、昭和44(1969)年8月には高尾住宅線と重複している部分が多く、
その高尾住宅線のバス大型化に伴い一部のダイヤがカットされ、11往復となりました。
このように説明されていますが、減便の実際の理由は深刻化するバス乗務員不足に
よるものだったといいます。
この寺町線は、昭和53(1978)年の時刻表にも円光寺線の一部として
記載されており、朝ラッシュ時に香林坊〜寺町〜円光寺〜窪間
を一往復半のみ運行しています。
ところが、この頃すでに「山科」バス停は存在していなかったため、
幕の「山科」部分を塗りつぶして使用していました。
廃止時期は昭和58(1983)年から59(84)年にかけてですが、
その存在が確認できる最後の時刻表である昭和58年版の路線図では
該当する系統が描かれておらず、なんとなく末期の23循環川上線のような
扱われ方のような感じがします。
正確な廃止年月は不明ですが、おそらく額住宅B線が開業し、
円光寺線のパターンダイヤが変更された改正で姿を消したものと思われます。
▲昭和59年以降使われ続けている横幕です。
▲ローマ字なしの幕は90年代半ばまで見られました。
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平成11(1999)年3月から朝に一本のみ走っている錦丘高校行きの幕です。
幕は、ローマ字併記後もこの表記のものが使われ、
相変わらず「寺地」が入っていました。
▲横幕です。こちらは正しい表記となっています。
▲89年秋頃の金沢駅にて。停車中のバスは8:00発の通快便で、
その後ろには8:05発の普通便が控えています。
画像:Commuter Rapidさんご提供。
朝ラッシュ時には工大前行きの通快便も運行されていました。
停車停留所は、
金沢駅・武蔵ヶ辻・香林坊・片町・有松・錦丘高校・三馬日赤病院・工大前
でした。
かつては有松から直進して錦丘高校へ至る道がなかったため、停車はしないものの
この通快便も泉が丘、円光寺を経由していました。そのため路線番号が「32」と
なっているのですが、昭和58(1983)年に寺地経由の四十万線が開業すると
円光寺線の通快便も昭和60年ごろから寺地経由となりました。
そのときに新調されたのが画像の幕なのですが、
停車しない寺地を表記に加えているのはまずいのでは…?
さらに言えばもはやこの系統は「33」番とすべきではないか、とも
考えられますが、この当時はまだ33系統は兼六園下〜四十万の系統のみで、
金沢駅と工大前を結ぶ系統は経路にかかわらず「32」番としていたと考えれば
なぜ「32」番だったのかもうなずけます。
しかし、平成11(1999)年3月に33系統の金沢駅・工大線が誕生した後も
32番を名乗り続け、ローマ字幕もこの表記でした。しかも相変わらず停車しない
寺地も書かれたままで。。。
そんな不思議な通勤快速ですが、平成16(2004)年4月改正で姿を消しています。
最も基本的な円光寺行きの幕です。
現在ではローマ字併記幕となっていますが、片道一本のみ健在です。
円光寺行きの通勤快速便も平成11(1999)年3月まで運行されていました。
こちらは泉丘高校などの通学用で、停車停留所は
金沢駅・武蔵ヶ辻・香林坊・片町と、有松から円光寺までの各停留所となっていました。
画像:Commuter Rapidさんご提供。
▲こちらはブルドッグの通快便です。
かつては7時台の円光寺方面行きはほとんど快速便で、
満員の学生を乗せて活躍していました。
画像:Commuter Rapidさんご提供。
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金沢駅行きの幕です。
平成10(1998)年ごろに幕の合理化が行われるまで使用されていました。
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この幕が作られた当初は31系統の金沢駅行きの幕と共通でしたが、
円光寺線がほくてつバスに移管され全面LED幕となったため、
31系統でしか見ることができなくなっていました。
しかし、平成20(2008)年4月に再び円光寺線が南部の担当となり、
現在では見る機会が多くなっています。
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ほくてつバス時代の画像です。
結果として、こちらはわずか4年間しか続きませんでした。
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朝に運行されている32系統の通勤快速のかつての幕です。
停車停留所は、有松までの各バス停と香林坊・南町・武蔵ヶ辻・金沢駅
となっていましたが、昭和59(1984)年11月からは
泉一丁目・広小路・片町が加わり、通過するのは泉二丁目、野町、六枚町
だけになりました。
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98年ごろからは通快の幕も30系統と共通になり、路線番号が消えています。
現在でもこの幕が使用されていますが、相変わらず通過するのは
泉二丁目・野町・リファーレ前のみとなっています。
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かつては香林坊止まりの通快便もありました。
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同じくかつては香林坊行きの普通便もありました。
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平成11(1999)年3月改正で、32円光寺線が大幅減便されたことを受け、
33系統が増便され、金沢駅発着の別系統として金沢駅工大線が誕生しました。
本数は毎時1本が用意され、同時に誕生した35系統と合わせて毎時2本運転と
なり、円光寺線の減便分をカバーしていましたが、日中はそれほど需要がなかったためか
平成15(2003)年4月改正で大幅に減便されてしまいました。
担当は、当初はもちろん南部営業所でしたが、
04年4月よりほくてつバス南部に移管されました。
ほくてつ南部のもと、05年秋より順次LED化が進められ、
LED幕のみでの運行となり、幕は全滅しました。
が、平成20(2008)年4月より再び南部担当に戻り、幕もLEDも混在
する状態になっています。
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▲「有松/寺地」表記がよく見られますが、このように経由地表記が
「寺地」のみの幕も存在しています。
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金沢駅行きの幕です。
こちらはシンプルに「寺地」のみの表記ですが、
番号はしっかりと書かれています。
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こんな幕も、わずかですが存在していました。
この幕も経由地表記が工大前行きとは異なっていますね。
金沢駅と工大を結ぶ系統の中で、最も新しいものが35系統です。
平成11(1999)年3月改正で、有松4丁目,久安大橋を新設して誕生
ました。本数は1時間に1本があり、33系統とあわせて30分間隔という
体制でしたが、やはり平成15(2003)年4月に減便されて現在に至っています。
とはいえ、本数は日中に集中しており、そこまで珍しい系統ということでもないでしょう。
現在では通称「横川線」も久安大橋を経由しているので、あまりこの路線の
存在意義がなくなっての減便ではないかとも推測されます。
担当は、当初は南部営業所で、平成16(2004)年4月からはほくてつバス南部支所に
移管されました。
幕は当初は誤乗防止のために青地黄字という珍しいものを採用していましたが、
のちに幕は変更されています。LED幕はその後も黄色のものを使用して
いましたが、平成19(2007)年には普通の青地白字ものに変更されました。
▲08年4月初旬撮影。この直後、再び幕&黄色系統幕が復活とは。。。
ところが、平成20(2008)年4月改正で再び本体南部の担当に戻り、
全滅していた幕の運行も復活し、さらには黄色の系統幕も復活しました。
今度はほくてつバス時代の姿のほうが懐かしくなってしまいました…
青地黄字幕は不評だったようで、わずか一年後の平成12(2000)年には
反転タイプの新幕が登場しました。
33系統は「基本形」なので幕に特に装飾はなく、
34系統は経由地が反転幕となっており、
35系統は終点が反転幕となっており、これで見分けがつくようになりました。
が、それでも誤乗は後を絶たなかったとか…
ほくてつバス担当となってからの一時期は見られなくなっていましたが、
現在では再びこの幕を見る機会は増えています。
横幕です。
こちらも行先が反転幕になっています。
経由地表記はかつての黄色幕と同じですが、
白字でしかも「工大前」が反転しているという
珍しい幕も存在していました。
こちらは旧幕での金沢駅行きです。
いちおうこちらも黄色字となっています。
金沢駅行きの幕はシンプルに「久安大橋」の表記のみです。
ほくてつ南部時代はLED化されていましたが、
08年4月より再び幕の運行も復活しています。
現在は柳橋で活躍している日野HR593号車ですが、06年夏までは
ほくてつ南部でこのように35系統や松任線で活躍していました。
やや色あせていますが、黄色幕なのがお分かりいただけるでしょうか。
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