50・55上荒屋線


微妙な減便を年々されつつもそこそこの本数と乗客を維持している
のが上荒屋線です。
幕は、兼六園下からの上荒屋行きのものです。終点は上荒屋西ですが、
表記は昔と同じ「上荒屋」となっています。
ほくてつバス担当のため、現在では幕車での運行を見ることはできません。

上荒屋線の誕生は、昭和32(1957)年11月です。
運行区間は、
兼六園下〜泉〜西泉〜西金沢〜上荒屋で、
起終点こそ現在と同じですが、途中の経路が全く異なっていました。

昭和37(1962)年に柳橋営業所が開設されると、どうやら
上荒屋線は柳橋の担当となったようで、この頃には
兼六園下〜橋場町〜柳橋へと延長されています。

市電廃止の昭和42(1967)年2月、なんとこの上荒屋線が本津幡まで延長
されています。当時の本数は、
上荒屋〜西金沢〜兼六園下〜本津幡 14往復
上荒屋〜西金沢〜兼六園下〜柳橋  23往復
      西金沢〜兼六園下〜柳橋  0.5往復
上荒屋〜西金沢〜兼六園下      4.5往復
上荒屋〜西金沢              1往復
                柳橋〜本津幡 1往復
となっています。
言うまでも無く、これが上荒屋線史上最長の系統となっています。

▲初のワンステップバス投入路線も上荒屋線でした。

ところが、いろいろと不都合があったのか(あったのでしょう)、
翌昭和43(1968)年11月改正で、津幡系統を切り離して運行区間を
柳橋までに短縮し、柳橋まで走る便も朝夕の出入庫の十数往復のみとなり、
半数以上の便が兼六園下発着となりました。なお、この時に約20分間隔に増便され、
この本数が長らく維持されることとなります。

そして、いつの間にか柳橋発着は消滅してなぜか春日町発着となり、
昭和49(1974)年6月の改正前は
春日町〜兼六園下〜西金沢〜上荒屋 81便
      兼六園下〜西金沢〜上荒屋 27便
(「○○往復」と「○○便」は当時の新聞・社内報の表記のまま使用しています。
必ずしも「81便」が「40.5往復」にはならないことにご注意ください。)

となっており、これが改正で富本町・保古町経由に変更され、
       兼六園下〜富本町〜上荒屋 74便
春日町〜兼六園下〜富本町〜上荒屋 22便
【通勤快速】 兼六園下〜〜上荒屋    6便
       兼六園下〜西金沢〜上荒屋  4便
となりました。
これは、西金沢線(春日町〜兼六園下〜西金沢)の誕生に伴うもので、
西金沢〜西金1丁目〜西金2丁目〜西金3丁目の区間は廃止も考えられたようですが、
上荒屋〜西金沢の需要に応えるために朝夕に数本が残されています。

富本町、新神田、保古町経由ということに驚かされますが、
当時はまだ西インター大通りが工事中で、完成後の
昭和51(1976)年に白菊町経由となっています。

▲現在は「御所二丁目」表記ですが、当初は「御所ニュータウン」。
  しかもローマ字なし。


昭和50(1975)年には50番の番号を与えられ、この番号は現在まで
変わっていません。ただし西金沢経由の便は当初は50番でしたが、
平成になる頃には53番になっています。
この系統も上荒屋線なので当初は50番だったのでしょうが、
利用者にとって分かりやすくするために53番に変更したものと思われます。

以降はとくに系統変更もなく、平成を迎えます。
平成5(1995)年2月、上荒屋から上荒屋西へと延伸されています。
この年は西金沢経由便の最後の年であり、この便や快速便、朝の数本
のみは上荒屋発で運行されていました。



これまで兼六園下発着で運行されていた上荒屋線ですが、
平成10(1998)年3月の改正で鳴和台系統が誕生し、
この系統のみ武蔵ヶ辻・彦三経由で運行されたため、
上荒屋行きの幕も新調されています。

当時は珍しかった幕ですが、平成12(2000)年3月改正で鳴和系統もこの
武蔵ヶ辻・彦三経由となったため、この幕は兼六園下発と同じくらい
見る機会が多くなりました。

またこの改正では兼六園下〜香林坊の経路も変更され、
従来は上荒屋行きは県庁前(現.広坂)、香林坊(市役所前)を経由し、
兼六園下・鳴和行きは丸の内経由と分かれていたのを、
どちらも丸の内経由とし、上荒屋方面行きはすべて香林坊アトリオ前
停車となり、分かりやすくなりました。

鳴和行きも彦三経由となりましたが、この年はまだ兼六園下発着便と
鳴和・鳴和台発着便は半々の割合でした。
ところが、翌01年からは次第に鳴和・鳴和台発着便が増え、
02年からは日中の兼六園下発着が2時間も空く時間帯ができるなど、
次第に武蔵・鳴和方面重視のダイヤとなっていきます。

担当は長らく柳橋営業所でしたが、
平成13(2001)年3月からはほくてつバスが担当しています。

▲LED幕には「丸の内」の表記が入ります。

平成17(2005)年4月に鳴和発着便が柳橋発着になると、
完全にダイヤは柳橋寄りのものとなりました。
(私はとても嬉しかったものです。それまでの鳴和止まりによく泣かされていたので…)

ところが、07年に55系統が新設されると、運用上の都合なのからか
柳橋発着便が激減し、かわって兼六園下発着が再び主流を占めるようになっています。
毎時およそ1本が武蔵ヶ辻・彦三経由の御所二丁目発着系統で、柳橋便は
朝と昼の出庫時と昼と夜の入庫時の数本となってしまいました。

そして平成20(2008)年12月より、上荒屋西行きの一部の便が
いなほ工業団地まで延伸されています。
海側環状の付近でもあり、今後の発展を見込んでの延伸のようです。

このように、とくに最近は延伸ならびに系統変更が頻繁に行われており、
そのつど幕が新調されてきました。
しかし、07年よりほくてつバスの全車両がLED化されたため、
現在では幕を見ることはできなくなりました。



07年3月ごろからLED幕が一部変更され、
50系統は「上荒屋」から「上荒屋西」表記となっています。



幕はローマ字ありの最終期のものですが、
画像がなかったため、H−199さんからいただきました懐かしい画像を。。。
これがはや20年も前の写真とは…

開業以来の兼六園下行きの幕です。
近年はほかの路線の例にも漏れず、その本数を減らしてきていましたが、
07年より再び上荒屋線の主流を占めるようになりました。



昭和49(1974)年に新設された通勤快速は、
朝に兼六園下発2本、上荒屋発が4本用意されています。
停車停留所は、
上荒屋、新保本町、西金3丁目、保古町、片町(上荒屋行きのみ)、香林坊、兼六園下
の順に停車していました。
平成に入る頃にはさらに新神田も停車停留所に加えられています。

この快速の兼六園下行きは平成に入るころには消滅し、
少し遅れて平成6(1994)年に上荒屋行き快速も消滅しています。



兼六園下行きの幕です。
朝の同じ時間帯に、両方向にわたって運転される通勤快速便は
とても珍しい存在でした。



廃止された快速にかわって、平成6(1994)年より急行の香林坊行きが登場し、
上荒屋、矢木、八日市出町、西金3丁目、新神田、片町、香林坊に停車していました。
この急行も平成12(2000)年改正で消滅しています。



平成9(1997)年2月改正で、モーニングダイレクト便として
小立野大学病院行きが登場しました。

幕は現在では見ることは出来ませんが、
たいていの車両にはこの幕が入っていました。



あとになって移籍してきた車両にはこの幕が入っていました。
これでは「小立野」経由の「大学病院」行きに見えるのは私だけでしょうか…



現在は存在しませんが、香林坊行きの幕です。
朝に数本ありました。



こちらも香林坊行きですが、
鳴和台発の香林坊行きの幕です。鳴和台系統誕生当初は数本
ありました。



香林坊までは普通の白地青字幕なのですが、武蔵ヶ辻行きは
なぜか茶色幕が入っていました。



鳴和行きは05年4月まで存在していましたが、
平成10(1998)年3月改正から茶色幕に変更されたため、
この幕は98年で見納めとなっています。

この改正では、鳴和台行きが武蔵ヶ辻・彦三経由だったのに対して
鳴和行きは丸の内・兼六園下のままとなっており、
幕の経由地表記に「彦三」が入るのは00年以降のことです。

この鳴和行きは平成5(1993)年に登場しており、
それまでは一つ手前の春日町止まりでした。
平成に入る頃からすでに上荒屋行きは鳴和始発となっていましたが、
なぜか戻りは春日町までという不思議な状態が続いていました。



平成12(2000)年3月より鳴和行きも彦三経由となり、
幕も新調されました。

この鳴和行きは、鳴和到着後に回送となって柳橋車庫まで行くのですが、
茶色の幕で二文字の行先表記の幕、ということもあって
鳴和で「終点ですよ」と運転士から言われ戸惑う乗客の姿もしばしば
見かけました。
また、「どうせ回送で柳橋まで行くなら乗せてくれ」といった要望も
多く寄せられたため、平成17(2005)年4月改正で鳴和行きは
柳橋まで延長され、発展的解消を遂げました。



平成10(1998)年3月改正で、鳴和台行きが新設されました。
当時はまだ鳴和行きが兼六園下経由で運行されいたのに対して、
鳴和台行きは当初から彦三経由で運行されていました。

幕は、「武蔵ヶ辻/彦三」表記となっていますが、
これも誤乗防止のためと思われます。
(のちに彦三経由となった鳴和行きの幕は「増泉/彦三」表記で、
「武蔵ヶ辻」表記は入っていません。)

この鳴和台行きは、平成16(2004)年8月末に朝の数本を残して
星稜高校まで延伸され、さらに平成18(2006)年2月の御所ニュータウン
延伸によって消滅しています。

▲プチが走っていた頃もありました。



平成17(2005)年4月、鳴和行きが柳橋まで延伸され、
幕も新調されました。
しかし幕は07年1月で見納めになり、柳橋行きも現在では
免許維持系統化しています…



星稜高校行きはモーニングダイレクト便の一環として、
従来の鳴和行きを延伸する形で平成11(1999)年に登場しています。
星稜高校までを地帯制区間内に入れるために、
東金沢駅口(現.小坂)は通過していました。

平成15(2003)年9月、これまでの朝の星稜高校行きに加えて
夕方の星稜高校発の便も登場しています。
下校時の運行ということで、1時間おきに4本が設定されていました。

画像は、99年からこの頃まで使用されていた幕です。
ほかのダイレクト便と同様、03年頃からは「金沢星稜大学」の表記が
追加されています。



この幕は03年頃に新調されたもので、それまでのダイレクト便とは異なり
「金沢星稜大学」の表記が追加されています。

平成16(2004)年8月、星稜高校前の道路完成に伴い、
鳴和台系統が御所町経由で星稜高校まで延伸されました。
これにより、日中の鳴和台発着便のほとんどが星稜高校発着となっています。

なお、日中にも星稜高校行きが存在したのはこの時期のみで、
2年も経たないうちに今度は御所ニュータウンへと延伸されたため、
現在では星稜高校行きはやはり朝のみの運行となっています。



御所行きは、平成18(2006)年2月に誕生しました。
幕は1年ほどしか見ることはできなかったので、
ご覧になったことがない方もいらっしゃるのではないでしょうか。

かく言う私も、延伸直前に幕を交換しているさいに車庫前から撮影した
この時以外は幕の写真を撮影できていません。



御所行きの横幕です。
拡大しまくったので、画像がボケていますがご容赦ください。





平成7(1995)年11月、西金3丁目から新設ルートを辿り
やすらぎホーム前まで走る系統が新設されました。
全体の経路の三分の一は上荒屋系統とは異なるのですが、
07年4月まではこちらも50番を名乗り、しかも路線名も
上荒屋線のまま現在に至っています。



そして平成10(1998)年3月改正で一部の便がキリンビール工場
まで延伸されました。

経由地表記「やすらぎ」が面白いですね。
なお、兼六園下発も柳橋方面発も同じ幕を使用していました。
やすらぎホームもキリンビールも、幕は1種類しか用意されていませんでした。



平成19(2007)年4月、やすらぎ・キリンビール系統が
新たに開通した押野陸橋経由となり、
兼六園下〜丸の内〜香林坊〜有松〜押野中央〜やすらぎ・キリンビール
という系統になりました。
同時に路線番号も55番に変更され、路線名こそ上荒屋線のまま
ですが、もはや全くの別路線と言っていいでしょう。

ほくてつバス担当のため、幕は新調されていないのですが、
雰囲気だけ再現してみました。


▲55番という路線番号は14年ぶりの復活です。

担当はほくてつバスで、当初は朝夕の数本以外は
ほくてつ南部(それ以外は柳橋)担当でしたが、
08年4月より全便が柳橋担当となり、ほかの上荒屋系統と共通運用に
なっています。



兼六園下行きには「丸の内」の表記が追加されています。


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