51安原B線


幕は現在のものの1世代前のものです。
現在では「みどり二丁目」表記のものに変更されています。

51系統は、昭和51(1976)年8月に
従来の安原線(金沢駅〜富本町〜上安原・倉部)の派生系統として誕生しました。
当初は「みどり線」という名称でした。
本数は、安原線と合わせて20〜30分間隔となるようになっており、
今と同様お互いに補完するようなダイヤになっていました。

この頃は快速の本江町行きが朝に一本存在しており、
金沢駅、本町、武蔵ヶ辻、南町、香林坊、本江町の順に停車していました。
と、いうことは完全に本江町へ行く人のための便なのでしょう。
高岡中学校への通学輸送か何かだったのでしょうか。

昭和59(1984)年の系統番号再編のさいに、
本流の安原線を差し置いて51番の番号をそのまま受け継ぎました。
このことから、いずれは本流をこちらの系統に移行させる計画だったのでは
ないか、と想像してしまいますが、現在でも54系統がみどり地区への主流路線
となっています。

平成元(1989)年11月には尾山台高校の移転に伴い、バス停が新設されます。
また、これと同時に
鳴和→香林坊→尾山台高校
の系統が新設されました
(幕はどのようだったのか不明です。ご存知の方はご教示ください)。
この鳴和系統は平成13年度を最後にひっそりと姿を消しています。
これぞ初代モーニングダイレクトというべき存在でした。

なお、このダイレクト便は平和町発も鳴和発も柳橋営業所の担当だったそうで、
尾山台到着後は上荒屋まで回送していたそうです。
(情報ご提供:タイムトラベラーさん)



担当は長らく西部営が担当しておりましたが、
01年3月には北鉄金沢中央バスへと管理委託され、
03年4月には正式に金中バスに移管されました。

車両は、プチバスがやたらと投入されてきていましたが、
移管後の51系統は画像のように大型ノンステや、日野大型車、
HRノンステなどが主に運用に入っています。

LED幕は当初はやや味気ない書体で、ローマ字併記もないものでしたが、
05年12月にLED幕が新調され、太字かつローマ字併記となっています。



06年ごろから、なぜか系統の変更もないのに幕が新調されています。
金中バスはLED幕車所有率も高いはずなのですが…
51系統もなぜか「みどり」から「みどり二丁目」表記の幕に
作り変えられています。

これは、正式な停留所名を表記することに心がけるものとも
解釈できるのですが、そのくせ後述の済生会病院行きの新幕は
逆に省略形になっています。
とにかく、よく分からないとしか言いようがありません。
幕は1枚約3000円するというので、いちいち新調していては
予算も馬鹿にならないと思うのですが。。。


こちらは打木行きの幕です。幕は、95年にローマ字併記になった際に
現在のものに変更されました。LED幕も当初はこのような表記でしたが、
現在では幕のみとなっています。打木行きなのに「みどり」も強調しているのが
特徴で、当時の路線図もこのような表記でした。



。。。と思ったら、かつての幕はさらに「みどり」を強調していました(^^;)
これには理由がありました。
かつて打木へは52系統が下安原から足を伸ばしていました。

平成元(1989)年11月に安原工業団地・打木へと51系統が延長され、
それまでの「52打木線」が「52示野線」へと名称変更され、終点も
現在の下安原となるなど、大きな変更が行われました。
そのため誤乗防止のためか「みどり」をかなり強調したものと思われます。



かつての横幕です。現在との違いは、
「みどり(尾山台高校)」が「みどり」となっているのみです。



現在のLED幕です。
もはや誤乗の恐れもないためか、「みどり」は一経由地という表記に
なっています。
京阪の中古など、運用に入る車両は近年多種多様になってきています。



こちらは、平和町→松島の朝の便に使われていた幕です。
この系統は昭和55(1980)年1月に誕生しています。
平成7(1995)年2月には尾山台高校まで延長されました。
さらに現在はみどり2丁目まで延長されているので、
幕は金沢駅発の系統と共通のものが使用されています。

現在の横幕は、「51平和町―広小路―新神田―松島―みどり」
ですが、以前は
「51平和町―広小路―増泉―松島―みどり」
となっていました。

この便は現在は金中が担当していますが、
かつては柳橋営が担当していました。



柳橋の中型車が走っていた時代は
なんとも殺風景な幕が使われていたそうです。




朝のみ、香林坊始発で、みどりを経由して済生会病院へと至る
レア系統が存在しています。
いったんみどり2丁目まで行った後、折り返して二塚まで戻り、
左折し、稚日野を経由して済生会病院へと至ります。



幕は、長らくこの表記のものが使用されていました。
現在は、下の幕が使われています。



07年から08年にかけて新調された幕は、
なぜか「済生会」としか書かれていません。とにかく謎です。



片道のみ、済生会病院からみどり2丁目へと至る、
なんとも不思議な系統が1便のみ存在します。
回送代わりの系統かと思われますが、果たして利用者は
いるのでしょうか。。。




現在の金沢駅行きの幕です。幕を見る機会が減ってきていますので、
まもなくこのような光景も過去のものとなりそうです。
西部担当時代を思い出させる画像ですが、
残念ながら幕は西部営と金中とでは異なっています。


西部(営)時代は経由地は「新神田」が書かれていました。
この違いは画像を見るまで私も気づいていませんでした(^^;)



朝のみ運行されている香林坊行きのかつての幕です。



こちらが現在の幕です。
金沢駅発着の幕は「新神田」から「白菊町」表記に変わったのに
こちらはその逆になっています。
これもまた謎です。
何か深い意味があるのか、…いや、むしろ幕を発注するさいの原稿は
わりとそのときの気分で書いているのではないか、と思われます。。。


243号車の横幕です。
かつては当然のように見ることができた日野ハイグレード車の幕ですが、
現在は金中バスにこの手の幕式車両はすべてLED幕車となっています。

それにしても、2段式幕はほんとうに懐かしいですね〜
このような横幕は北鉄オリジナルで、評判は上々でした。


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