52示野線
 |
 |
52系統は、90年代に入ってからの系統の変更や北鉄金沢中央バスへの
移管もあり幕の種類は豊富です。
画像の幕は、95年以前のものでまだ西部営業所が担当していたころの
金沢駅西口→専光寺→下安原の系統で使用されていたものです。
幕は「西部緑地公園」となっていますが、正確には「袋畠西部緑地公園」です。
さすがにまぎらわしかったのか、後年これは改められています。
 |
一瞬間違いではないかとも思える幕ですが、かつては52系統が
打木まで走り、路線名も「打木線」でした。
打木線の開業は昭和27(1952)年7月のようです。
ただしこれは新旧お盆期間中の臨時運転という扱いだったようで、じつは
この時はまだ免許申請中でした。この時の経路は、
金沢駅〜六枚町〜若宮〜示野〜専光寺〜打木(安原村)というルートで
6往復の運転だったようです。
社内報「ほくてつ」によると、この臨時運転は7月11日〜8月20日までの
予定だったものが、この時の利用実績と沿線住民からの要望熱意と
これら利用圏内の人口密度から考えても運転の必要性が認められるため、
8月20日以降も引き続き運転を継続し、
9月5日からは5往復で運行を続けていたとのことです。
その後めでたく同区間の免許が下りたようで、
打木線は胡桃町自動車区(現在の兼六園下モータープール)の担当となり、
その後昭和40年代の営業所再編により西部営業所の担当となりました。
現在では右左折を繰り返しながら示野方面へと向かっている52系統ですが、
当初は六枚町からほぼ一直線のルートでした。
開業当初の打木線は、金沢駅を出ると六枚町に停車し六枚交差点から
県道196号線に入り、そのまま県道沿いに打木方面へと向かっていました。
しかし、北陸本線と交差する古道踏切が安全上・定時運行上のネックとなり、
その後完成した中橋陸橋経由に変更されました。
この時のルートは 〜六枚町〜中橋〜長田弓の町〜長田本町〜二口〜
というもので、おそらくワンマン化に際してこのルートは
廃止されたのではないかと思われます。
次のルートは、 〜中橋〜長田町〜二口〜 というもので
二口町交差点を鋭角に左折し、長田二丁目交差点から旧来のルートに合流していました。
現在の道路は当時まだ完成しておらず、現行道路を経由するようになったのは
平成7(1995)年11月からのことです。
昭和57(1982)年3月まで、打木線は一往復のみ八日市出町まで
足を伸ばしていました。
これは、安原地区の生徒が西南部中学校に通学するためのもので
昭和41(1966)年から運行されていたそうです。
金沢駅から来た車両が、福増北口・打木を経由してこの系統のためだけの
バス停である矢木本町を通って矢木からは上荒屋線と同じ経路で
八日市出町まで走っていたようですが、詳細は不明です。
 |
▲金沢駅発着時代の横幕です。
こうして再び金沢駅と安原・打木地区を結ぶだけのローカル線となった
打木線ですが、80年代に入ると徐々にさまざまな役割を果たす路線へと
変化を始めます。
昭和60(1985)年に西部緑地公園線が運行を開始すると、
同公園へのアクセス輸送を打木線も担うようになり、
「袋畠」が「袋畠西部緑地公園前」に改称されています。
(「袋畠・西部緑地公園前」とか「袋畠(西部緑地公園前)」という表記のほうが
よいのでは…といつも思うのですが。。。同様の例は「金大附属学校自衛隊前」や
「平和町市立病院前」ですね。)
そして平成元(1989)年11月、安原地区の路線再編が行われます。
尾山台高校バス停の新設と同時に、51系統が安原工業団地・打木への
乗り入れを開始しました。
これにあわせて52系統は下安原止まりとなり、路線名も「示野線」となっています。
そして終点付近の経路も、
〜下安原〜安原公民館前〜福増北口〜打木〜浜安原〜下安原公民館〜下安原〜 から、
〜下安原〜下安原公民館〜下安原西〜浜専光寺〜
に変更されました。
またこの改正で、一部便の香林坊への延伸も行われました。
ただし当時はまだ金沢駅経由でしたので、いったん金沢駅ターミナルに入ってから
再び本町経由(ただし停車はせず白銀交差点を右折)で六枚町に停車していました。
香林坊の乗り場もアトリオ裏ではなく、勧銀前でした。
平成3(1991)年5月からは金沢駅西口ターミナル完成に伴い、
金沢駅経由から金沢駅西口経由へと変更されています。
この時は現在と同じ中橋経由(示野方面行きは通過)でしたが、翌92年3月の
改正では金沢大学線と同様、駅西大通り経由に変更されています。
平成5(1993)年改正では、駅西本町経由に変更され、
さらにその翌年の94年10月からは済生会病院への乗り入れも開始し、
ようやくほぼ現在の路線の形となりました。
しかし、利用者の減少には歯止めがかからなかったようで、
平成9(1997)年改正では数本が済生会病院止まりに変更され、
下安原まで走る便が減少しました。
ただし幸いなことにその後目立った減便はなされておらず、
また最近では示野のショッピングセンター開業もあって利用者の減少には
歯止めがかかっているように見えます。
平成10(1998)年3月改正では、金沢駅西口付近の経路が現行のものに
変更され、また香林坊の乗り場もアトリオ裏に変更されています。
平成13(2001)年3月には西部から金中に移管されましたが
本数は維持され、今でも朝夕の便はなかなかの混雑を見せています。
この路線しか通らないバス停が多いことが、一定の本数と利用者を維持している
ことの理由の一つのようにも思われます。
そして平成20(2008)年12月からは、示野地区で経路変更を行い
示野ショッピングセンターなどのバス停が新設されています。
地図を見ていただければ分かるかと思いますが、開業当初の経路と比べると
ずいぶんデコボコした経路となっています。
 |
歴史をご紹介したところで、ここからは幕の説明に専念したいと思います。
この幕は、香林坊発の下安原行きで使用されていた幕です。
経由地表記が「金沢駅西口」表記となっているのが特徴です。
(「示野」や「袋畠西部緑地公園」が普通(?)なのですが。。。)
平成6(1994)年10月からは済生会病院への乗り入れを開始すると、
幕も新調されました。
当時はまだローマ字併記幕は採用されていなかったためローマ字なし幕ですが、
これは非常に短期間しか見ることができませんでした。
ローマ字併記幕になると、済生会病院を経由しない便には
この幕が使用されるようになりました。
経由地表記はきちんと「袋畠西部緑地公園」となっていますね。
北鉄金沢中央バス担当になると幕も頻繁に新調されるようになりました。
52系統はとくに変化もないのに、なぜか幕が新調され
経由地表記に示野が加わっています。
かつて香林坊発の済生会病院行きで使用されていた幕です。
現在では、香林坊発も金沢駅西口発もこの幕が使用されています。
▲LEDは「金沢駅西口」表記も加わります。
画像:のっティ応援隊の隊長さんご提供。
金沢駅発着時代の幕です。なんともシンプルな表記ですが、
打木行きも同様でした。
平成3(1991)年5月に金沢駅発着になってから使用されていた幕です。
やはり「西部緑地公園」経由表記になっています。
済生会病院経由の金沢駅西口行きで使用されていた幕です。
ローマ字併記幕となると、きちんと「袋畠西部緑地公園」表記と
なっています。
金中担当となってから新調された幕です。済生会病院の表記が2段となり、
また現在LED幕でも尾暗示表記となっています。
西部時代のローマ字併記幕は「済生会病院」表記は一行で書かれていました。
これをわざわざ2段書きにするために幕を新調した金中って…
さらに金中は「袋畠西部緑地公園」表記の幕(済生会病院を経由しない便)も
使用せず、わざわざ幕を新調しています。
経由地表記は「示野」となっています。
済生会病院を経由しない香林坊行きのローマ字なし幕です。
これはそのまま現行のローマ字併記幕でも採用されています。
こちらは病院経由の香林坊行きの幕です。
済生会病院経由の香林坊行きのローマ字併記幕です。
表記に「金沢駅西口」が加わっています。
▲LED幕の香林坊行きは、金沢駅西口発着時には
「六枚町」経由表記となっています。
===================================
==============
トップへ戻る
【方向幕博物館】51安原B線(みどり・打木)