53西金沢線

|  |
西金沢線は昭和49(1974)年6月改正で開業しています。
この改正では、循環東大通り線(金沢駅〜春日町〜兼六園下〜西泉〜金沢駅)の
廃止と、それまで泉新町・西金沢経由で運行していた上荒屋線が
富本町・保古町経由に変更されたため、
その代替として春日町〜兼六園下〜泉新町〜西金沢間で運行を開始しました。
運行回数は、兼六園下発が61便、春日町発が12便、
区間便として春日町→西泉が1便、兼六園下→西泉が1便ありました。
担当は、春日町便があることから柳橋営業所だったと思われます。
その後1981年から春日町便がなくなることから、おそらくこの時に
西金沢線は野々市営業所の担当になったものと思われます。この年は、
東部担当だった石引線が柳橋担当になっており、その関係だと思われます。
▲兼六園下の満開の桜とともに。06年4月撮影。
96年には南部営業所の担当となり、98年3月改正からは
一部の便が柳橋担当になりました。
そして平成13(2001)年3月改正でほくてつバス担当となっています。
幕は、昔から全く変化はありません。
ほくてつバスは全車両がLEDとなっているため幕は見れませんが、
現在でも一部の南部車には幕は残っていると思われます。
平成7(1995)年までは旧来の上荒屋線も朝夕にのみ存続していました。
路線番号は「53」となっていますが、柳橋担当だったことから
上荒屋線の一部だったようです。
97年頃までは、西泉便も朝に2本程度存在していました。
この西泉系統は柳橋担当でした。
西泉到着後、1便は82番金沢駅行きになっていたようです。
この便は南部が担当していたころもあったようです。
もう1便は西泉から回送で上荒屋まで行っていたそうです。
(情報ご提供:タイムトラベラーさん)
南部時代の幕です。
「Nishi-izumi」はおそらく誤植だと思われます。。。
▲画像:フルーティさんご提供。
平成9(1997)年2月より、毎時1本を兼六園下から旭町まで
延長して、翌年からスタートする結節路線の実験としていました。
この幕は旭町始発の西金沢行きに使用され、
翌年に金沢大学まで延長された後も金沢大学発の便でも使用されていました。
▲現在の兼六園下発の西金沢行きのLED幕です。かつての幕と同じ表記です。
画像:フルーティさんご提供。
01年にほくてつバス担当となると幕も新調されました。
現在も毎時1本は金沢大学〜旭町〜兼六園下〜西金沢の運行となっており、
とくに土日は94系統がほとんどなくなるので旭町地区の住民にとって
欠かせない足となっています。
▲金沢大学発のLED幕は「旭町/香林坊」の表記です。
兼六園下行きの幕です。
昭和50(1975)年の路線番号制定以来、ローマ字併記となった
こと以外は同じ表記の幕を使用しています。
上荒屋発の兼六園下行きに使用されていた幕です。
93年改正より、朝の1便は兼六園下行きのほかに武蔵ヶ辻・彦三経由の
鳴和行きも運行されていました。
50系統の鳴和行きもまだ兼六園下経由だった時代に、
現在の先駆けとなる彦三経由だったことに驚かされます。
53番で彦三経由は、後にも先にもこの時だけです。
上荒屋線ですので、担当は柳橋営業所でした。
平成8(1996)年2月に、やすらぎホーム→香林坊→彦三→鳴和の
系統が朝に1便新設されたことに伴い、廃止されています。
平成9(1997)年2月より一部の便が旭町まで延伸されました。
先にも述べたように、これが現在の結節路線の試行的存在で、
これが好評だったことから翌年より番号も改め96番とし、
同時に金沢大学まで延伸されています。
このため「53」番の旭町行きは97年の一年間だけしか
見ることができませんでした。
ちなみにこの旭町行き誕生により、これまで市街地から旭町までの
主要アクセス路線だった91系統が大幅減便されています。
98年より旭町行きも96番となっています。
01年にほくてつバス担当になってからも旭町行きの幕は
存在していました。
当時は既に旭町行きは消滅していたのですが、
このように南部・柳橋担当時代とは異なる幕がわざわざ新調されています。
01年にほくてつバス担当となるまでは、
このような幕が使用されていました。
ほくてつバス担当となってからはこの幕が使用されていました。
▲画像:若原さんご提供。
平成15(2003)年12月より終バスの繰り下げが各路線で
行われ、西金沢線の最終便も若松まで運行することとなりました。
このため通常は昼間に見ることはできない幕なのですが…
=======================================
===========
トップへ戻る
【方向幕博物館】50上荒屋線