54安原A線


上安原行きの幕は、全く同じ経路の幕ですが
日中と夕〜晩で異なる2種類の幕が用意されています。

こちらは日中に使われている幕です。日中、というよりも
尾山台高校の登校日に使われているといったほうがいいかもしれません。
ですので、わざわざ括弧書きで「尾山台高校」と書かれています。
ただ、現在ではほとんど幕車での運行はなくなっており、幕自体が貴重となっています。

▲フォーラスができる前の金沢駅東口にて。 05年夏撮影。

この安原A線は昭和18(1943)年に戦時統合で金安自動車を吸収して誕生しました。
この時に金沢駅〜入江〜上安原〜倉部 という現在の系統の基礎ができています。

昭和35年ごろは「安原内灘線」なる路線で運行されていたそうです。
担当は泉営業所だったようですが、それにしても現在からはとても
考えられない結節系統ですね。
(ただし、ほかのどの資料にも「安原内灘線」の名は見えず、存在していたか
どうかは怪しいかも。。。)


昭和43(1968)年にはこの両系統は分断されています。
この時に西部営業所が完成しており、結節の相手を失った安原線は、
西部車庫を経て問屋団地までの運行に短縮されたものと思われます。

昭和46(1971)年9月に、いよいよみどり団地へ乗り入れを開始します。
バス停は「二塚」「豊穂町」「緑住宅前」を新設しています。

また、これと同時に西部車庫方向の末端でも経路変更が行われ、
上諸江から新設の「割出住宅前(のちの「諸江」か)」「割出町」を経て
問屋団地へと至るルートになりました。これは、割出町の問屋町住宅の造成ならびに
市道諸江問屋町線の道路拡幅工事の完工によるものです。

この体制は昭和50年ごろの74系統誕生まで続き、以後は
金沢駅発着に短縮され、この形態が以後続いていくことになります。
この頃になると、もともとの倉部系統は減便されていき、逆に上安原・みどり・二塚
折り返しのラケット循環便が大半を占めるようになりました。

昭和50(1975)年には色別方向幕の採用により、
安原線は51番を与えられました。
翌年8月には新神田経由の安原B線が誕生していますが、こちらも
同じく51番となっています。
昭和59(1984)年の路線番号再編の際には、両系統は別々の路線番号を
与えられますが、なぜかA線のほうが54番でB線が51番となりました。
大通りを経由するB線のほうをゆくゆくはメインにするつもりだったのでしょう。。。

▲80年〜90年代前半の頃の54系統の姿。

平成元(1989)年11月には尾山台高校バス停を新設し、高校生の利用も
多く見られるようになりました。
ところが、その通学利用者も数年後には激減し、20〜30分間隔で運行されてきた
54系統も減便されるようになってしまいました。現在では30〜60分間隔と
やや不ぞろいな間隔となっていますが、51系統と合わせて毎時2本は確保されています。

平成11(1999)年3月には神野町からの鳴和行きが誕生しています。
免許の都合上なのか当初は鳴和まででしたが、4月からは星稜高校まで延長されました。
幕は茶色で番号なしでしたが、LEDになってからは54番を出しています。
また、同じ3月には神野町から錦町行きが誕生しました。
こちらは10番を掲げています。

平成15(2003)年1月には新設の77系統と結合し、
金沢駅から上諸江、三浦住宅前経由で問屋団地まで走る便も誕生しました。
これは75系統の消滅に伴い、上諸江を通るバスが減ったための措置ですが、
まさに「歴史は繰り返す」の典型的パターンでしょうね。
なお、現在は77番は浸透していますが、当初の問屋団地行きはなぜか「54番」
と放送していました。

担当は長らく西部営業所でしたが、平成13(2001)年3月より金中バスへ
管理委託となり、03年4月より正式に移管され現在に至ります。



こちらは尾山台高校の表記はなく、代わりに「二塚」が追加されています。
この54系統は倉部行き以外は、神野町→尾山台高校→みどり→二塚
を経由して方向を変えて金沢駅へと戻ります。
ただし、夜の数本は折り返さずに二塚で終点となるため、その際にはこの幕が
使用されています。

画像は、正月に撮影したものです。このほか夏休みなどには日中にも
この幕を使用しているのをよく見かけました。高校が休みだからなのでしょうか。
案外乗務員氏の気分だったりするのかもしれません。。。



05年12月からは現在のLED幕になっています。
尾山台高校の表記が消え、代わりにローマ字併記となりました。
昔とは異なり、路線バスで通学する学生は減り、
スクールバスが現在は主流なのが影響しているものと思われます。



オールLED幕でも表記は同じです。
元京阪やシティーライナー専用車両も運用に入ったりもします。

画像の018号車は05年の夏に北鉄にやって来ました。
金沢地区では初めての全LED幕で、当時はかなり注目されていましたね。
写真の通り、54系統や健民プール行きで当初は運用されていました。



05年11月までは金中のLED幕はほとんどがローマ字併記なしでした。
この当時まではLEDにも尾山台高校の表記がありました。



現在の倉部行きの幕です。ただし、既に幕車での運用はほとんど見ることは
できなくなっています。

倉部系統は、松島から51系統のルートでみどり1丁目へと至り、
尾山台高校経由で上安原、倉部へと至ります。ですので、
個人的には経由地に「みどり」を加えればよいと思うのですが。。。



尾山台高校ができた当時はこのような幕を使用していました。
倉部行きも尾山台高校を経由することをしっかりと示していますね。

かつての青幕の色は現在とやや異なっています。
現在のほうが明るい青色となっています。



現存はしていませんが、かつては尾山台高校の下校時に
みどり1丁目から香林坊行きが運行されていました。
数年前までは13・14・21・57系統などもそうでしたが、
本来の終点まで走らずに香林坊止まりという系統も多く存在していました。



金沢駅行きの幕も経由地表記は「富本町」のみとなっており、
これは西部営担当時代から変わっていません。

上安原行きの画像はたくさんあるのですが、
なぜか金沢駅行きの画像はこの1枚のみしかありませんでした。
もう少し撮っておけばよかった…と今さらながら後悔しています。



現在では倉部発も上安原発も同じ幕を使用していますが、
ローマ字併記になるまでは幕は分けられており、倉部発にはこの幕が使われていました。

▲上安原発にはこの幕が使用されていました。



平成10(1998)年から幕の合理化(?)が行われ、
54系統の金沢駅行きも、51・56系統のものと統合されました。

しかし、さすがに経由地が異なるのに「金沢駅」とひとくくりに
された幕を使用していてはまずいと考えたのか、
(とくに54系統は途中の経路が全く異なりますし)
現在では路線番号に経由地表記入りのものが使用されています。



平成9(1997)年2月には、モーニングダイレクト便として
松島→富本町→香林坊→金沢駅西口→工業試験場 という系統が誕生しました。

当時はまだ連結系統の初期であり試行錯誤を繰り返しており、
番号は54番を掲げていました。
翌年以降もこの系統は存続していきますが、路線番号は64番となったため、
この「54番」の幕はわずか1年しか見ることができませんでした。

現在も松島発のこの系統は存在していますが、番号は04番となり、県庁前を
経由するようになっています。


==================================== ==============

トップへ戻る

【方向幕博物館】51安原B線

【方向幕博物館】56西部緑地公園線