60金石線
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金石線の幕は一時期は見る機会が少なくなっていましたが、
平成20(2008)年4月より、金石側の担当が再び西部営業所となったため
比較的幕車が多い路線となっています。
画像の幕は、かつての香林坊・兼六園下発着時代に使用されていたものです。
▲90年代初めまではモノコック車も現役でした。 画像:助ける役さんご提供。
金石線は昭和23(1948)年に香林坊〜金石駅間で運行を開始しました。
当時は鉄道の金石線があったため、本数は少なかったようです。
その後、路線は兼六園下経由で錦町まで延長されています。
昭和42(1967)年2月の市電廃止の頃の担当は泉営業所だったようです。
この改正では、
兼六園下〜金石駅 52往復
金沢駅〜〜金石駅 3往復
と、金石まで20分間隔に増えています。この頃から既に鉄道の廃止も取りざたされており、
以降本数は増加し続けます。
(兼六園下発着とありますが、これはおそらく新聞の間違いで
実際には泉車庫発着だったそうです。ただ。兼六園下発着だったとおっしゃる方も
いますので、もしかしたら両方ともあったのかもしれません。)
翌昭和43年の泉車庫廃止によって、泉車庫〜金石間は打ち切られ、
兼六園下発着となりました。
(新聞には「香林坊発着に変更」とありますから、やはりさきほどの兼六園下発着の
件もあまり信用できませんね…)
本数は20分間隔に増便されています。これで、金石までは大野線と合わせて
10分間隔となりました。
さらに昭和44(1970)年12月には15分間隔に増え、
発着が香林坊に変更されます。
(増発というよりは距離短縮によって運行間隔を狭めたようにも思えますが。。。)
翌45(71)年には本数は63便に増加し、
車両も86人乗りの大型ワンマンバス化しました。
そして、そのさらに翌年9月には鉄道金石線が廃止され、
同地域の輸送はバスに委ねられることとなりました。
▲日野車の牙城だった金石地区。90年代の姿。
それ以降、20年以上さして本数も変わらずに金石線は幹線として活躍してきました。
昭和61(1986)年9月の香林坊大和オープンの頃に
香林坊での乗り場が変更され、これまでの勧銀前から
みなさんの記憶にも新しい(?)香林坊アトリオ裏となっています。
それから、路線番号も昭和50(1975)年4月の制定以来一貫して
「60番」を名乗っており、金石方面路線の筆頭という位置づけは今も変わりません。
このほか平成3(1991)年5月には、金沢駅西口バスターミナル供用開始にあわせて
金石B線(金沢駅西口〜中央病院口〜金石)が運行を開始します。
現在では西口始発はなく、四十万方面からのシティーライナー便があるのみですが、
それでも系統自体は存続しています。
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平成10(1998)年の大改編で金石線は四十万線と連結し、
名称も四十万金石線として新たなスタートを切りました。
幕は上の「香林坊 中橋」経由は南部営担当便、
下の「寺地 香林坊」が西部営担当便です。
お互いがお互いのエリアに配慮したのでしょうか。
その後、平成15年1月からはシティーライナーの運行開始に際して、
金石B系統は県庁前乗り入れを開始しました。
そして平成16(2004)年4月から、担当はほくてつバス(柳橋)となり
何十年も続いた西部営の手を離れました。
遠い柳橋からはるばる回送して金石にやって来るのは不思議としか言いようが
ない状態となったのですが、金石線がほくてつバスの担当となってからは
同社の採算が良くなったようで、これ以降立て続けに新車が入っています。
平成19(2007)年4月からは、ほくてつバス南部支所も一部の便を
担当するようになり、ますますほくてつバス色が強くなってきていましたが、
どんな事情があったのか、
平成20(2008)年4月からは再び西部営業所の担当になり、
西部と南部の共管路線という、四十万金石線誕生当初の姿に戻っています。
西部・ほくてつ北部担当便の幕です。
西部の車両・幕がそっくりそのまま柳橋へと渡ったので、幕は同じです。
そして、08年4月より再び西部担当となったため、
この幕も復活しています。
画像ご提供:若原さん。
上の幕から「寺地」を消して使用していた幕です。
兼六園下始発の金石行きに使われていました。
ちなみにこの幕は西部営の車両に入っていました。
平成11(1999)年3月からは、三馬大野線が誕生し、
その区間便として工大・高尾からの金石行きも誕生しました。
番号は60番となっていますが、あくまで三馬大野線という扱いで
金石発で久安経由の工大・高尾行きも存在しています。
通称金石B線とよばれる金沢駅西口〜駅西合庁前〜畝田〜金石の系統の幕です。
平成3(1991)年5月に金沢駅西口ターミナル開設に伴い開設されました。
現在では朝の県庁前経由金石行きとしてシティライナーの一部となっており、
幕も新調されたため(そもそも中央病院口自体がもはや存在しませんが)
現在では見ることができません。
同じ金石B線の幕ですが、こちらは平成15(2003)年に県庁移転に伴い新調されたものです。
現在ではこの幕を使うはずの便そのものがありませんが、
平成17(2005)年9月改正で消滅するまでは使われていました。
平成15(2003)年1月に県庁が移転した際に新設された系統の幕です。
四十万金石線の派生系統ですが、経路から見ても金石B線と言ってもいいのでは。。。
開設当初の経路は、
南四十万→香林坊→金沢駅東口→金沢駅西口→県庁前→金石 でした。
そのときの幕がこの幕ですが、この経路では所要時間を大幅にロスするため、
同年3月にはほかのシティーライナー各線とともに金沢駅は西口のみの停車となりました。
こちらの幕はその改正後の幕です。
この幕はほくてつバス(柳橋)担当になってからのものです。
ほくてつバスは平成19(2007)年に全LED化を達成しており、
幕は消滅しています。しかも、翌08年からはそのほくてつバス担当便
そのものも消滅しています。
この幕は西部・南部の車両に入っている幕です。
一時期見ることが難しくなっていましたが、
現在では見ることは容易になりました。
ふたつ上の画像と同じほくてつバスの376号車です。
06年4月にLED改造され、
表記がこれまでの西部・南部のものに合わせたものになりました。
LED幕ですが、ほくてつバス担当便自体が消滅しており、
こちらも幻となっています。
1980年頃の金石線です。
私にはあまりなじみのない日野REが走っています。
場所はおそらく中央市場口付近と思われます。
画像:タイムトラベラーさん。
金石B線開設当初の金沢駅西口行きです。
すでに中央病院口バス停は消滅していますし、周囲の景観も道路も
登場当初とは全く異なっています。
そしてこの系統自体もすでに消滅しています。
こちらは現在の幕です。平成15(2003)年に新調されています。
金石B線は消滅してしまいましたが、現在もなお朝に片道のみ
大野港→金石→県庁前→金沢駅西口
という系統があり、「金石中央病院線」と時刻表にはありますが
路線番号は60番で、西部営業所が担当しています。金石B線の生き残りと
いえるでしょう。
長らく香林坊発着だった金石方面の路線でしたが、
平成10(1998)年3月に四十万金石線以外の便が兼六園下まで延長されました。
その際に登場した幕です。60・61・63・65系統兼用となっていました。
04年にほくてつバス担当となってからは、番号も書かれた幕が
新調されました。そして、08年に再び西部担当に戻った時には
同じ幕が使用されるようになり、現在も見ることができます。
こちらは昔から63系統で朝に数本設定されていた「金沢駅経由」系統です。
この系統も98年に兼六園下まで延長されています。
昔から番号も変わらず残る都ホテル前の金沢駅13番のりばに停車する便として
渋い活躍を続けています。
06年にLED幕が新調され、「金沢駅」が反転色となり、誤乗を防いでいます。
西部営担当のころの快速香林坊行きです。60・61・63系統兼用の幕でした。
この金石の快速便ですが、昭和末期までは存在していましたが、いったん廃止され、
平成7(1995)年10月に試験的に復活します。
かつての快速は、金石・西警察署・畝田・武蔵が辻・香林坊の停車でしたが、
この実験では畝田〜中橋間をノンストップとしました。
車両は空港車両や南部営のワンロマ928
が使われました。この実験が好評だったため、
翌96年1月より本格実施となり、現在に至ります。
平成16(2004)年に60系統が柳橋の担当になると、幕も変化しました。
金石方面系統では60系統しか走らせていないため、幕にも番号がつくようになりました。
同様に、98年から快速も兼六園下まで走る便もでき、
西部担当のころはこの幕でした。
柳橋担当になり、やはりこちらにも番号が与えられました。
そしてやはり現在では見ることはできません。
ピカピカの387の画像です。
まだローマ字併記になる前のものです。
数年後には幕の合理化か無番号で「香林坊」「兼六園下」とだけ書かれた幕だらけに
なりますので、こうして番号入りで表示している幕がかなり懐かしいですね。
画像ご提供:助ける役さん。
こちらもさきほどの幕のように、幕の合理化によって誕生しました。
ほとんどの便は兼六園下まで走っていましたが、ラッシュ時を中心に香林坊止まりの
便も残っており、そのために用意された幕のようです。
2通り存在する小立野ダイレクトのうち、普通便のほうは60番です。
ですので幕はあるのですが、なぜかこの便は「三馬大野線」の扱いで
金中委託となっています。
LEDでは、「大学病院」の表記がありません。
金石始発ですが、こちらは金中委託が担当しています。
平成9(1997)年(2月改正か4月改正かは不明)より、
朝の1便のみ錦町へと延伸されました。
当初は、オレンジ色の幕で運行されていました(60番の番号入り)
が、翌98年からの幕の再編によって緑色の幕となりました。
03年4月より、ほくてつバス担当となり
06年夏からは幕での運行がなくなりました。
LED幕はこのようなものでした。
08年4月より、この錦町行き快速が短縮され、如来寺行きとなりました。
今回はなぜか緑色幕ではなく、白地黒字となっています。また、経由地表記
も変更されています。
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