75中央病院線
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現在の75系統の幕です。
75系統は平成15(2003)年1月にいったん消滅していますが、
上諸江などの利用者の陳情により同年3月に復活し、
現在に至ります。
往時とは異なり金沢駅西口〜上諸江〜中央病院という
短い系統となり、月〜金のみの運行となってしまいましたが、
「75中央病院線」の名を今に伝えています。
現在の75系統の金沢駅西口行きの幕です。
どうせなら香林坊まで走れば利用者も増えそうなものですが…
▲横幕には、このようにかつての幕を流用したものも
ありました。
これがそのまま75系統の運命を象徴していますね。
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75系統が復活した当初は幕がなかったため、
(中央病院行きは以前のものを流用していました)
このような幕が使われていたり、
「70金沢駅西口」の幕が使われていたりしました。
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現在では支線のような存在になってしまった75系統ですが、
かつては上諸江や中央病院方面へ向かう主力路線でした。
75中央病院線の誕生は昭和51(1976)年6月で、
兼六園下〜香林坊〜金沢駅〜七ツ屋〜上諸江〜中央病院
というものでした。
本数は、午前中は通院客の利便を図ってか20分間隔で、
午後は30〜40分間隔となっており、03年に至るまで
本数はさほど変化していません。
なお、区間便として金沢駅発の中央病院行きも存在していましたが、
そのときの幕は経由地表記が「上諸江」となっているものを
使用していました。
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金沢駅止まりの便も存在していました。
なにかとやり過ぎた感のある平成9(1997)年改正では、
30分間隔に減便のうえ、日中の便の約半数が金沢駅〜中央病院に
短縮されてしまいました。
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▲画像ご提供:助ける役さんご提供。
寂しい状態となった75系統でしたが、
平成10(1998)年3月改正では再び兼六園下・香林坊発着に
すべての便が戻されています。
また、この改正では金沢駅西口経由に変更となっており、
七ツ屋住民の救済のために74系統が新設されています。
▲99年からは日野大型ノンステが75系統のカオとなっていました。
翌平成11(1999)年3月改正では、日中の2本に1本が
兼六園下から大学病院まで延伸され、病院と病院を結ぶ系統が
誕生しました。
そのため、車両も日野大型ノンステが充当されるなど、
再び幹線らしくなってきました。
▲小立野から中央病院行きの横幕です。
しかし、県庁移転に伴う平成15(2003)年1月改正で
75系統の運命は一変します。
中央病院へのアクセスは50m道路経由のシティライナーが
主流となり、こちらに「中央病院線」の譲り渡すこととなります。
そして70番台の路線であることから、上諸江地区の住民の足という
役目もある75系統ですが、こちらも新設の77系統にその役目を
譲って75系統は廃止されてしまいました。
さすがにこれには地元住民も怒ったようで、
なんとわずか3ヵ月後の3月10日には急遽75系統が復活して
います。しかし残念ながら利用者はほとんどいない状態となっています。
98年以降03年1月改正まで使用されていた幕です。
当時はこの中央病院線をはじめとして、津幡線なども
兼六園下発着でしたので、兼六園下のモータープールも賑やかでした。
金沢駅経由だった頃の幕です。
茶色も現在のものより若干赤みがかったものでした。
99年改正より、日中に2本に1本が小立野まで延長されるようになりました。
小立野行きは10番を掲げ、緑色の幕でした。
また、幕の種類も2種類存在していました。
この幕は西部に導入された富士重工プチのものです。
経由地表記が兼六園下行きと同じものも存在していました。
923などに入っていた幕です。
▲小立野行きの横幕です。
▲画像ご提供:タイムトラベラーさん。
1980年頃の上諸江バス停です。
バス停に停車しているのが75系統、追い越しているのが70系統です。
このように、2台のバスが並んで走るなどの光景もこの頃はよく見られたそうです。
幕はまだ青幕です。私には違和感がありますが、
懐かしいとお思いになる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
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