32−80・84・85柳橋円光寺線(木越円光寺線)




柳橋円光寺線と木越円光寺線は、平成11(1999)年3月に
循環寺町線を分割して誕生しました。
循環寺町線時代についてはこちらをご参照ください。→ 【方向幕博物館】80循環寺町線

遅延が常態化していた循環路線を分割したことで定時性の確保を図り、
円光寺まで延伸することで、これまで乗換えが必要だった金沢北部と
泉丘高校・円光寺が一つの路線で結ばれたため、学生を中心に歓迎されました。
同時に、これで毎時3本が円光寺まで走ることになるので、
武蔵ヶ辻〜円光寺間で重複している32円光寺線が朝の数便を除き廃止され、
金沢南部を走る路線の合理化が行われました。

円光寺行きは、始発地にかかわらず全て32番が、
戻りはそれぞれの行先に合わせてこれまで通り80・84・85の
路線番号がそれぞれ与えられました。

画像の幕は、柳橋・本津幡発のものです。
循環寺町線時代よりも経由地表記が増えています。


▲循環寺町線で使用されていた車両が、 青幕を掲げて走る姿は新鮮でした。

平成12(2000)年3月には、本津幡〜円光寺という長距離路線も
数本誕生しています。
現在ではこの系統も柳橋円光寺線という扱いになっていますが、
当初は津幡線の系統の一つとして扱われていました。
しかしあまりの長距離路線となってしまったため、定時性確保が難しく
平成16(2004)年4月改正で朝の一往復を除き消滅しています。

▲横幕です。  画像の276号車は柳橋円光寺での活躍が 多かった車両です。

幕車はすでに消滅していて、07年1月以降見ることはできなく
なってしまいました。
また本数も平成21(2009)年5月改正で、これまでの毎時3本から
毎時2本となる時間帯も多く見られるようになっています。

担当は、循環寺町線と同様に柳橋営業所でした。
01年の分社化では本体路線として残り、
戸籍上は西部営の担当となりますが(運行はほくてつバス委託)、
03年4月にはほくてつバスの担当となり、現在に至ります。
戸籍上は何度も担当が替わっていますが、柳橋車庫を拠点としている点は同じです。
本数は減り、衰退しているとはいえ現在もなお柳橋地区を代表する路線といえます。



06年4月改正までは、LED幕には「武蔵ヶ辻」の表記が入っていました。
有松の表記がありませんが、「32」番なら有松経由であることはずっと昔から
変わっていないのでとくに問題はなかったと思うのですが…



06年4月より、「武蔵ヶ辻」の表記が消え、
代わりに「有松」の表記が加わりました。

武蔵ヶ辻の表記は循環寺町線時代からの伝統だったのに、
「橋場町/有松」経由だといまいちどこを通るのかが分かりにくいように思います。
同様の現象は西金沢線でも起きていて、「香林坊/泉新町」表記が
「旭町/泉新町」表記となっています。
市内中心部のどこへ行くのかはしっかり表記してもらいたいところです。
(…と私は思います。)



大浦・木越→千木→円光寺の幕は「千木」表記があり、区別されています。
以前の循環寺町線時代はどの系統でも「80武蔵ヶ辻 有松」の幕
でしたので、分かりやすくなりました。

この千木経由の系統だけ柳橋を通らないので、路線名も
木越円光寺線と別個のものが与えられています。



木越→円光寺の幕は「荒屋」表記となっています。


02年ごろの法光寺北交差点での32系統です。
歩道橋は現在は撤去されており、バスも幕車は全滅し、
イメージがだいぶ変わってしまいました。

画像ご提供:もりさけてんさん。



LED幕はやはり「武蔵が辻」の表記がありません。

画像は06年10月撮影のもので、上の画像と同じ位置から
撮影しています。6年で周囲の景観もバスも大きく変化したことがわかります。



柳橋行きの幕です。
現在ではすべてLED車になっているため、幕を見ることはできません。



現在はLED幕のみしか見ることはできません。
経由地表記が気に入りませんねぇ…ズレてますし。
どうもこれは業者のミスではないかと思われます。
(最近改善されましたが、95系統の表記も酷かったですね。)



市内方向での「80番」を掲げる便は99年以降1便のみが存続していました。
柳橋6:57発の香林坊行きで、折り返し85系統となるのでその出庫も兼ねて
いたようです。

幕は、「橋場町」の表記が入っておらず、
循環寺町線時代の雰囲気を残しています。

この便は平成21(2009)年5月、ひっそりと廃止されています。


▲07年1月、柳橋営で路線車の幕での運用最終便は80系統でした。
 この時の様子につては、 こちらもご覧ください。


 



84系統は、もともとは木越線という路線でした。
平成10(1998)年までは兼六園下を起点に活躍していましたが、
現在では円光寺線と連結し、画像の兼六園下発着便も平成17(2005)年4月に
消滅しています。

▲横幕です。反射して「浦」の字が見えなくなっていますが ご容赦ください。

木越線は昭和33(1958)6月に誕生しています。
当初は、金沢駅〜橋場町〜東金沢〜三池〜千木〜今昭〜千田〜大浦
という経路で、現在とはまったく異なるものでした。
(資料によっては当初から泉車庫発着との記録もありますので、
金沢駅発着はもしかしたら間違っているか一部の便だけだったのかもしれません。)

その後泉車庫の発着となりますが、
昭和43(1968)年11月に兼六園下に変更されました。
この頃はまだ今昭・千田経由だったと思われるのですが、
その後の木越団地の造成に伴い千木から直進して木越、大浦へと至る経路に
変更されたようです。

昭和50(1975)年4月の色別方向幕制定では、木越線は福久線と同じ
83番の路線番号が与えられました。
この頃にはさすがに木越住宅経由に変更になっていますが、まだ東金沢経由で、
現在の神谷内経由に変更となったのはこの年の9月のようです。
(もりさけてんさんのサイトより。)

▲昭和50年頃の横幕です。千木止まりの便も当時はあったようです。

こうして神谷内から先の停留所は「疋田東」がないこと以外は現在と同じになりますが、
「中神谷内」は現在の道路の一本南にある旧道にあり、踏切を渡って直進して
「疋田」、ここからは金腐川沿いの道を走り8号線と交差して「千木」
(旧道。私が小学校低学年のころまでバス停の土台のようなものが残っていました)
となっていました。

昭和61(1986)年から翌年にかけて、疋田〜千木が現行の道路に変更
されています。ただ、当時はまだJRをくぐる地下道が完成しておらず、疋田までは
相変わらず旧道経由でした。そのため、中神谷内から踏切を渡って右折し
しばらく行ったところに疋田バス停が移設され、疋田東交差点を左折して新道に
移っていました。
この新道に疋田東が新設されています。現在の経路から見れば疋田の西に
疋田東があるのはおかしいと思われた方もいるかと思いますが、
この当時の疋田から見て東にあるから付けられたものと思われます。

現在の4車線道路に変更となったのは平成2(1990)年ごろのようですが
(このときに疋田バス停が現在の位置に移設されています)、
幼い頃の記憶に中神谷内の旧道を走るバスを見た覚えがありますので、
翌91年のことかもしれません。
ここでようやく、
兼六園下〜武蔵ヶ辻〜橋場町〜疋田〜千木〜木越住宅〜大浦小学校前
という現在の経路が完成しています。

木越線の経路の変遷は、 もりさけてんさんのサイトで詳しく
紹介されていますので、そちらもご覧ください。




95年にローマ字併記幕になるまではこんな幕でした。

この95年までは柳橋にいるハイグレード車は循環寺町と平和町ばかりに
充当され、84・85系統をはじめとする路線は依然としてブルドッグや
89、90年式中型もしくはお古のエアロスターの運用で、あきらかに
ローカル線の様相を呈していました。



平成10(1998)年3月、木越線は循環寺町線と連結して
「木越循環寺町線」となります。しかし、運行区間が
大浦〜千木〜橋場町〜武蔵ヶ辻〜有松〜寺町〜兼六園下・柳橋
というとてつもなく長いものになってしまい定時運行が難しかったことから、
翌年3月には循環運転を終了し、有松から円光寺へと足を伸ばし
木越円光寺線として生まれ変わりました。

幕も新調され、大浦・木越方面行きには経由地表記に「有松」が追加されています。



84系統ですが、大浦までは行かずに木越止まりの便も存在しています。
画像の幕は、円光寺発で使用されているものです。

これがまたややこしく、85系統と間違える人もしばしばいますし、
過去には乗務員氏すら間違えることもありました。



兼六園下発の84系統の木越止まりの幕です。
「有松」表記がなくなっていますね。

残念ながらこの系統も現存していません。。。



ローマ字併記になる前のものです。
かつての幕は「鳴和」を入れたがる傾向にあり、
福久線・森本線・津幡線などでも確認できます。



ローマ字併記前の84系統の上り便の幕です。
この幕を使用する便すら既に姿を消しています。



香林坊までの便も数本ありました。

 



現在は柳橋円光寺線となっている85系統ですが、
かつては福久線という路線名を持っていました。
画像の幕は、09年5月まで片道一本のみ残っていた福久線時代と同じ
兼六園下→武蔵ヶ辻→橋場町→荒屋→木越住宅の便で
使用されていました。


福久線の誕生はいつ頃なのかは分かりませんが、
少なくとも市電廃止以前から存在していたことは間違いないようです。
当初は、泉車庫〜香林坊〜武蔵ヶ辻〜橋場町〜森本〜福久〜大浦
というものだったようですが、昭和43(1968)年11月に
木越線と同様、兼六園下発着に変更されています。

森本を経由し、大浦まで走っていたという点が現在とは異なっていますが、
昭和50(1975)年4月の色別方向幕制定の時にはまだこの形態を維持していた
ようで、この当時の幕からそのことが分かります。

▲昭和50年頃の横幕です。当初は木越線と同じ83番でした。
 85番になったのは昭和59年11月のことです。


昭和53(1983)年までには、森本経由から疋田経由に変更となっています。
おそらく8号線のバイパス完成に伴い経路変更をしたのでは、と思います。
(変更時期は木越線同様、昭和50年秋かもしれません。)
これで疋田までは木越線と同一の経路になり、疋田からはバイパスを走り
福久南(このとき新設。現在とは異なり、バイパス上にバス停がありました)、
福久、木越住宅となっていました。

昭和58(1983)年11月、今度は
〜神谷内〜法光寺〜千坂住宅〜福久南〜福久〜に経路変更がなされています。
これは、循環寺町線が千坂住宅乗り入れをやめたためです。

平成元(1989)年6月、福久線と同じ85番を名乗りながら別路線の
湖南運動公園線が誕生しました。
香林坊〜橋場町〜法光寺〜横枕〜荒屋〜福久〜湖南運動公園
という経路で、現在の荒屋経由はこの時に登場しています。
(バス停は、横枕・金市団地・金市・荒屋・荒屋北が新設されました。)

その後平成5(1993)年には福久線も荒屋経由に変更され、
千坂住宅バス停は廃止、福久南バス停は現在の場所に移設となっています。
これで福久南バス停は香林坊方面しかバスが来なくなったため、
代わりに福久南口バス停が新設されました。
ここで数年ごとに経路変更を繰り返してきた85系統がようやく現在の形になります。

98年までは、横枕や荒屋を通るバスは2路線もあり、
本数も毎時1本以上は確保されていて便利でした。北鉄も、団地の造成が進む
この地区のバス利用を見込んでのことと思いますが、この後のみずき団地と同様、
マイカー利用が定着してしまっており、残念ながら利用者は増えませんでした。

▲香林坊にて。現在は全車両がLED幕となっています。

このため平成10(1998)年3月改正では、福久線が
循環寺町線と連結して「福久循環寺町線」となると同時に、
湖南運動公園線が減便され、免許維持路線と化してしまいました。



そして翌平成11(1999)年3月、循環寺町線が柳橋円光寺線になると、
福久循環寺町線もこの一部となって独自の路線名を失っています。
また同時に、湖南運動公園線も廃止となり、わずか10年の歴史に幕を下ろしています。

画像の幕は、円光寺発木越住宅行きで使用されていたものです。



ローマ字併記となる前の福久線の幕です。



湖南運動公園線の幕です。
末期は行先以外は福久線とほとんど区別がつかない路線となっていましたが、
香林坊発着であることがささやかな違いでした。

福久から先は、福久西・木越住宅西・湖南運動公園口・湖南運動公園の順に
停車していて、八田や大場地区からの利用も考えられていたようです。
この地区にはかつて北鉄の才田線も走っていたのですが、昭和62(1987)年に
JRへ一元化しており、その後湖陽住宅の造成により同地区の人口が増え、
北鉄としても相当悔しかったのではないでしょうか。ですので、
ささやかな反撃のつもりだった可能性も考えられますが。。。

平成8(1996)年2月からは、86系統とともに新設の「みずき団地」
(現.みずき1丁目)へ乗り入れを開始しています(福久西は廃止)が、
とうとう平成10(1998)年3月改正ではわずか1.5往復となり、
免許維持路線と化してしまいました。
朝に一往復と、夕方の香林坊行きが残ったわけですが、この香林坊行きは
時刻表によるとなぜか千木経由だったようです。
(時刻表の便・所要時間を見る限りは誤植とも考えられにくいのですが…)

最晩年に謎を残して平成11(1999)年3月に廃止となっています。



平成10(1998)年3月までは荒屋北までの区間便も存在していました。
これは湖南運動公園線の一部で、平成元(1989)年に誕生しています。

この付近の住民の利用を見込んで用意された系統だったのですが、福久線が
のちに荒屋経由に変更されたこともあり、平成10年改正で姿を消しています。
幕は「荒屋北」ではなく、「荒屋」表記となっていました。
(放送では「荒屋北行きです。」と言っていたのですが…)



85系統の兼六園下行きも84系統と同じでした。
この幕は福久線で使用されていたものです。

95年ごろまでは、番号ごとに幕がバラバラだったのが懐かしいですね。
これがもし現在ならば「武蔵が辻 兼六園下」1枚でまとめられている
ことでしょうね。。。



香林坊行きの幕は、湖南運動公園・荒屋北発の便で使用されていました。


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