91 旭町線
現在の様子だけを見れば、なぜこんな零細路線が「旭町」の名前を
背負っているのか分からない路線ですが、
かつては金沢市内線を代表する路線でした。
誕生は昭和54(1974)年10月、循環線の廃止に伴うものです。
金沢駅〜富本町〜新竪〜兼六園下〜旭町という運行区間は
この時から変わっていません。この路線の誕生まで兼六大通りを経由する
路線は存在せず、また旭町の住宅地造成によって付近の人口が急増して
いたこともあって、循環線の廃止を惜しむ人もいれば、この路線の誕生を
歓迎した人もまた多くいたといいます。担当は循環線と同じ西部営業所です。
本数は平日20分間隔、休日30分間隔というパターンダイヤが
続いていました。平成になるまでは、旭町の住民は市内へ出かけるには
この路線しかなかったので、たいへん重宝されていました。香林坊や武蔵を
通らないのが今にして思えば変な話ですが、循環線の廃止代替が
そもそもの役割であったことと、当時はまだ大和が片町に
あったことも考えればそれほど不便でもなかったのでしょう。
ただ当時から、本数のわりには乗車密度は必ずしも高くなかったとの記録が残っています…
▲現在の幕です。 画像:若原さんご提供。
平成5(1993)年からは金沢大学まで一部の便が延長されています。
また、翌年からはそろそろ限界だったのでしょう、徐々に減便が始まります。
平日の日中は30分間隔となっています。
平成9(1997)年2月には、「城下まちかなざわ周遊」号を
富本町・新竪町経由に変更したことによって91系統は日中の便がなくなり、
現在のように朝夕のみの運行となりました。
これは、周遊号の変更というよりも91系統の肩代わりを周遊号に
やらせた、と言ったほうがよいのではないでしょうか。
幕は西部営担当時代のものです。長らく使われていました。
▲2000年ごろの周遊号の画像です。
(画像ご提供:助ける役 さん)
平成13(2001)年3月、赤字路線として真っ先にほくてつバスに
移管されました。このときになぜか1便増えており、
地域密着輸送を早くも実施したか!?などと噂されましたが、すぐに
減便されています。
幕はほくてつバス時代のものです。
画像:H−199さんご提供。
03年4月からは金中の担当になりました。運用は13・14系統と
共通のようですね。
この幕は、現在でも見ることができます。
ただし、08年12月改正で土日祝日は運休となってしまいました。
金沢大学に乗り入れだした頃の幕です。
ローマ字併記になるまでは、黄色というよりもレモン色の幕でした。
ほくてつバス時代以降、現在もこの幕が採用されています。
西部営時代の幕です。
「新竪町」のはずですが、なぜか幕も運賃表示機も「新竪」
となっていますが、何かこだわりでもあるのでしょうか。。。
ほくてつバス時代の幕です。
ローマ字追加となっていますが、とくに西部時代と変更はされていません。
金中の担当になってからは、幕が全て新調されています。
なぜか「新竪」を消して「富本町」のみになっています。
LED幕もまた同様となっています。
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