92鈴見線



現在の鈴見線の幕です。
平成20(2008)年12月より、これまで終点だった田上から
住宅地の造成が進む朝霧台へと全便が延伸されています。

この幕は、08年4月改正時からすでに用意されており、
幕回しの際や休憩中の車両で頻繁に見ることができました。
もしかしたら当初は4月から朝霧台延伸を計画していたのかもしれません。

できれば幕は「田上・朝霧台」として欲しかったのですが、
シンプルな幕を好む(?)東部らしく経由地表記も終点表記も
そのままとなっていて、少し残念です。
しかも、夕方の県庁前発の朝霧台行きはこれまでと異なり幕が新調されず、
この幕が使われているので、92番の幕は現在ではこの1種類のみとなっています。



別に違和感がないような幕にも見えますが、番号が「13」であるという点と
経由地表記が「鈴見」であるという点に注目です。

▲90年ごろの鈴見線の画像です。まだ低床車以前の車両も活躍していました。
 画像:おがさんご提供。


鈴見線は、昭和46(1971)年4月に誕生しています。
これは、団地造成が進みつつあった田上・鈴見地区の住民の要請と、
奥卯辰山公園に近かったことから路線が新設されたようでうす。
本数は一日8往復が用意されました。

当時の経路は現在とは全く異なるもので、現在の
兼六園下から小将町を経て田井町に至る「兼六大通り」はまだできておらず、
香林坊〜兼六園下〜大学病院前〜田井町〜鈴見〜若松〜田上住宅
というものでした。大学病院から先は、
田井町、鈴見、若谷、若松、上若松、若松園前、田上住宅
の順に停車していました。

昭和50(1975)年には13番の路線番号が与えられます。
当時の色別方向幕には鈴見・旭町方面は用意されておらず、
またこの当時の経路もあって、鈴見線も小立野方面の路線として
扱われていたことが分かります。



夕方に若松行きもわずかながら運行されており、幕も用意されていました。
田上行きの幕よりもこちらのほうが違和感がありますね。



昭和54(1979)年10月には、市内循環線廃止に伴って
現行のルートに変更され、この時新設された「1旭町線」と共に
「9鈴見線」として生まれ変わり、さらに本数も一日9往復から毎時2本へと
大増発されました。また、この時からほとんどの便の起終点が
香林坊から金沢駅へと延長されています。
これで、
金沢駅〜香林坊〜兼六園下〜暁町〜鈴見〜若松〜田上住宅
となり、この形態が以降30年近く続きます。



「9」番となってからは、毎時2本運転となり
一本が田上行き、もう一本が若松止まりとして運行されていました。


▲昭和59(1984)年まで使用されていた横幕です。
 「桜町」表記が入っているのが後年の幕とは異なっています。



▲画像:助ける役さんご提供。

昭和59(1984)年11月にはようやく鈴見・旭町地区に黄色の色別幕と、
90番台の番号を与えられ、鈴見線は「92番」となり、現在に至っています。
また同時に鈴見台一丁目バス停を新設し、従来の「鈴見」は鈴見台二丁目に変更されました。
(情報ご提供:おがさん。)

▲鈴見を快走する92系統。90年ごろのご撮影で、現在とは異なり
まだまだのどかな雰囲気です。  画像:おがさんご提供。


当時の本数は、毎時2本(金沢駅毎時15分、50分発)となっており、
毎時50分の便は若松止まりとなっていました。
平成に入ると徐々に若松止まりが減り、ほとんどの便が田上まで走るようになります。
ただし、金沢大学線の開設に伴い(?)午前中の便が大幅な減便となっています。
鈴見線のダイヤはこの頃から変則的になってきており、日中はその後も毎時2本体制を
維持していますが、夕方の便は1時間近く空くようになり、とくにシティライナー運行開始後の
03年以降はその傾向が顕著です。

平成7(1995)年11月には、田上住宅の宅地化の進展に伴い、
終点の田上住宅の位置を変更し、田上1丁目を新設しています。

そして先述のように、平成20(2008)年12月には、開業以来の終点
田上住宅から(田上住宅バス停は14系統のみ発着となっています)
朝霧台へと延伸しています。


▲現在の92番の横幕です。若松行きの場合は終点の表記だけ
 「若松」になっています。




開業以来、長らく東部営業所の路線として活躍を続けてきた鈴見線の幕は
ローマ字併記になっても同じ表記の幕が使われ続けてきました。

東部らしく経由地も終点もシンプルな表記となっていましたが、
平成13(2001)年3月にほくてつバス(柳橋)に委託され、
その後平成15(2003)年4月に正式に移管されると
この幕はいったん見られなくなったばかりか、07年までに全車両が
LEDとなり、幕そのものが見られなくなってしまいました。

ところが08年4月より再び東部担当に戻り、
かつての幕が再び使用されるようになりました。
が、12月には全便が朝霧台へと延伸されたため、わずか
1年たらずで再び見納めとなってしまいました。



平成15(2003)年4月から平成20(2008)年4月まで
鈴見線は東部の手を離れ、ほくてつバスが担当していました。

そのため日野車一色だった鈴見線にふそうワンステなどが
入るようになり、鈴見線のイメージを大きく変えていました。
幕も新調されており、香林坊の表記が加わっています。

現在も続く終バスの繰り下げは03年12月より始まっており、
今なお好評のようで、とくに週末の混雑はラッシュ時
並みだそうです。

▲ほくてつ時代はふそう車も数多く活躍していました。



▲ほくてつバス時代の末期には全便がLED幕となっていました。
 中型ノンステも今となっては懐かしいですね。


今では再び東部担当に戻ったので、
ほくてつ時代が過去のものとなってしまいました。
(深夜の終バスなど一部は依然としてほくてつバス担当です。)

しかし、同時に07年より消滅していた幕での運行が
復活したので、当サイトとしては喜ばしい限りです。



平成15(2003)年1月の県庁移転に伴い、
夕方の便の一部が県庁前始発となりました。
そのため幕も経由地に金沢駅が加わっているものが
使用されています。

この幕は08年4月〜12月まで使われていたもので、
東部の幕です。
ほくてつ時代がどのような幕だったかは残念ながら記憶に
ありません。



東部の幕で、若松までの区間便に使用されていましたが、
今では全便が朝霧台ゆきのため、見ることはなくなりました。

画像はおがさんご提供のもので、ローマ字併記なしのものです。



ほくてつバス担当の頃の若松行きの幕です。
07年には、その若松行きの一部が金沢大学へと延伸され、「93番」に
なっていたりもしました。

▲鈴見線なのに「93番」として金沢大学〜金沢駅を 走っていました。


▲画像:NISHYMOさんご提供。
 ほくてつ時代のLED幕です。表記は「兼六園下/鈴見」と
 なっており、幕とは異なっていました。
 



鈴見線が金沢駅に姿を見せるようになったのは、昭和54(1979)年10月
からで、当初は当然ながら「9」番でした。
これまでの終点・香林坊をやや強調した幕となっていました。



92番となってからも表記は同じ幕が使われていました。
(画像:おがさんご提供。)



ハイグレード車登場の頃から、経由地表記が「鈴見」となりました。

画像はやはりおがさんご提供のもので、
ピカピカの271号車がまぶしいですね。



98年ごろから幕の合理化が行われ、鈴見線も白黒幕となりました。
この幕は93系統とも共通の幕でした。
ほくてつバス時代は見ることができなくなっていましたが、
08年4月から再びこの幕が使用されています。



ほくてつバス時代は、幕は「香林坊」の表記が追加されたものが使われていました。
ところが07年までに幕は見られなくなり、しかも現在では東部担当のため
ほんの一時期だけしか使われなかったことになります。



平成16(2004)年4月改正に伴い、一部の幕が新調されました。
そして番号入りカラー幕がなぜか92系統のみ復活しました。

なお、同時期には「87香林坊/彦三 野町駅」が「87彦三 野町駅」
となるなど、不思議な変化がありました。

結局06年夏には幕車の運用がなくなったので、これも貴重な
光景となってしまいました。



初期の鈴見線は香林坊止まりでした。



朝に一本のみ若松からの県庁前(現.広坂)行きが運行されており、
県庁前の降車場所は石浦神社前でした。
おそらく運用の都合で香林坊まで走らずにひとつ前の県庁前までの
運行だったものと思われます。



9番となってからは、香林坊行きも朝に一本のみの運行となり
残りはすべて金沢駅まで走るようになりました。
これは廃止となった循環線の代替の意味もあるように思います。

東部地区の路線は他方面の路線に比べて香林坊止まりが多いのが
特徴ですが、この鈴見線に関しては早い時期から金沢駅行きがほとんどを
占めてしました。



「9」番の県庁前行きは存在しませんでしたが、
幕はしっかりと用意されていました。



平成12(2000)年3月ダイヤ改正より、中央病院まで朝の一部便が
延伸されており、当初は64番となっていました。
ところが県庁移転に伴い01番となり、
その後現在の06番となっています。


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