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今回は、爆音で有名だった名車・初期RTを ご紹介します。 初の低床冷房車のスケルトンボディとして 注目されてのデビューでしたが、金沢での 活躍は長くなく、89年には全車寺井へと移籍 し、快速小松線などで活躍しました。 しかし快速小松線からも運用を追われ、今度は 山代線などを担当することとなりましたが、 ここでも長続きはせず、晩年は別々の運命を 辿りました。 あまり恵まれた人生とは言えないようですが、 名車として今も多くの乗務員やファンの心に 焼きついています。 |
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●初の低床冷房車のスケルトンタイプ
日野RTは、乗合バスの低床冷房車としては 初めてのスケルトンタイプの車両として、 昭和58(1983)年6月に導入されました。 同時期に柳橋、野々市に導入された車両は三菱のブルドッグ だったのに対してのスケルトンタイプであったため、 登場時はとても注目されたそうです。 85年に導入される後期型のRTと比べて、窓が小さめで、 ルーバーが大きく2分割になっている等の違いがありますが、 北鉄では方向幕が小型か大型かで容易に見分けがつきます。 |
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6台の車両のうち、805と806は西部営業所に配属され、
この2台と748の3台で中央病院線の運用に入っていました。 そして85年に後期型のRT(915シリーズ)が入ると、 金石線や安原線などでも活躍をするようになりました。 807〜810の4台は東部営業所に配属され、 やはり看板路線の花里線や錦町B線、鈴見線で活躍しました。 ですので、わずか1年間でしたが、「90 本多町 東部車庫」 の幕を出して走っていたというわけです。 さて、このRTは83年のみの導入であり、この前後の年の 車両の過渡期にあたる車両です。下段左の車両は82年式の RC、右の車両は85年式のRTです。スケルトンボディへの 進化によって、大きくイメージが変わりましたが、 なおも小型方向幕、上下2段式の窓など、モノコックの要素も まだ残っていることが分かります。 |
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●89年、全車両が寺井へ集団移籍
89年になると、すべての83年式RTが寺井へと一斉に 移籍しています。この時に座席が交換され、左側の中扉より 後ろと右側全てが2人がけのシートになりました。 RTの移籍は経年の進んだREを置き換えるためだったと 考えられ、そのため内装もこれまでの仕様に準じるものに 変更されたのではないかと思われます。 (なおRTと同時に西部の741〜747も寺井へ移籍し、 旧型車両を一気に置き換えています。) 寺井に移籍したRTは、快速小松線や辰口線、 小松駅⇔小松空港のほか、93年からは松任や千代野にも その姿を見せていました。 |
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数学教師さんによると、
1990年に,当時の寺井車庫所属(?)の日野RT (車番80*〜81*)が,朝の時間帯に11系統の快速に 入っていたと思います.車庫漢字表示に「寺」をシールで 貼られていたように思います. (このシールは結構長かったような・・・) とのことです。 91年式ハイグレード車が登場するまでの数年間は、 寺井営業所を代表する車両として快速小松線などのほか、 間合い運用もこなしていたようです。 そして91年に快速小松線からの運用を外れ、金沢に姿を 見せることは少なくなりました。 加賀地区ローカルでの活躍がメインとなったRTですが、 当時まだまだモノコック車の牙城だったこの地区では 唯一のまともなスケルトン車両としてもてはやされたそうです。 |
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快速小松線の運用を離れた後は、何台かは山代へ移籍し
寺井の車両とともに、当時はドル箱路線だった山代線 (寺井車庫〜長田〜小松駅〜粟津温泉〜山代温泉桔梗ヶ丘) に投入されていたそうです。 94年、加賀地区の一部路線が加賀温泉バスに移管され、 RTの6台もそれぞれ別の道を歩むことになります。 807と809はこの時設立された加賀温泉バスに移籍し、 再塗装もされてピカピカになっています。 当時すでに登場から10年以上が経過していましたが、 加賀温泉バスの出発式でも使用されたと言いますから、 まだまだ十分に現役だったことがうかがえます。 806は、加賀を離れてスクール輸送や能登などを転々とし、 晩年は西部に戻りました。806のほかにも西部に戻った 車両がいたようなのですが、どれなのかは分かりません。 |
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●そして再びふるさとへ。。。
加賀地区では第一線で活躍していたRTも、西部に戻ると 「古いバス」として扱われ、52下安原や71宇ノ気、 河北台スクール、そして86系統で96年ごろまで 使われていました。 86系統の医科大延伸時にもまだ活躍を続けていたよう ですが、当初は「86田中」の幕を使用していたそうです。 808は東部に戻り、朝ラッシュ専用で余生を送りました。 21通快や、11、18系統で使用されていました。 この頃、「金沢東高校」に名称変更し、バスの方向幕も作り 直されましたが、RTは緑で塗りつぶしてその上から白で 手書きで幕を書いていたそうです。 また、辰巳丘高校のスクールにも使われていたそうです。 |
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そのほかの車両は加賀に残り、南部営業所に統合されると
南部所属になり、97年ごろまで最後の活躍をしていました。 運用は、松任、千代野、寺井がメインだったようで、 南部入庫系統として四十万線を走ることもあったようです。 また、このRTは運賃表の「しじま台」を「四十万台」と 表示していたそうです。 さて、このRTは走行音が非常に独特で、私もその音だけは しっかりと覚えています。「爆音」とよく言われますが、 まさにその通りで、これはRTのみの大きな特徴です。 また、UD「プチ」がRTの音と似ているという人もいます。 文字では表現のしようもありませんが、85年式RTと 83年式RTでは「爆音」っぷりもやや異なっており、 83年式のほうが音がうるさかったような気がします。 |
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そのほか、このRTは車高がひじょうに低かったらしく、
「この車は、他車より車高低い。兼六園下交差点左折時 下にこすれるので要注意」と東部の車両には書いてあった そうです。 これは西部の車両にも書いてあったそうで、 数学教師さんによると、 日野RTの1台が西部に戻って来た頃(1995,96年あたり), 52系統で下安原から乗車.安原地区フリー区間では 放送スイッチを押した瞬間に運賃表示(ピキピキ音)が変わり、 一般区間ではやや遅めに運賃表示が変わっていました. また,そのRTには「車高が低いため, 西念地区の走行注意が手書きで示されていました. とのことです。 最後に。。。RTは東部の乗務員の間では「ポンポン船」 と呼ばれていたそうです。いかにRTが親しまれていたかが 分かりますね。 |
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●RTとその前後の車両たち
RTの魅力はその爆音っぷりが有名ですが、私は 過渡期の車両ならではの味わいもまたその魅力の一つと 考えています。 何よりもモノコックボディからスケルトンボディへの移行 により、82年式までのRCとは外観が大きく異なって いますが、それでも85年式RTと比較すると 上下窓や小型方向幕など、現在から見ればなんとも アンバランスな感じがRTの個性を主張しているように 思えます。 (画像3点とも:助ける役さんご提供。) |
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| 社 番 | 所属営業所の変遷 | 備 考 |
| 23−805 |
西部に導入。 →89年ごろ寺井へ。廃車。 |
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| 23−806 |
西部に導入。 →89年ごろ寺井へ。 →94年ごろ移籍。 能登などを転々とし、西部へ。廃車。 | |
| 23−807 |
東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。 →94年3月、加賀温泉バスへ。 廃車。 | |
| 23−808 |
東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。 →94年ごろ東部へ。廃車。 | |
| 23−809 | 東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。 →94年3月、加賀温泉バスへ。 廃車。 |
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| 23−810 |
東部に導入。 →89年ごろ寺井へ。 廃車。 |