北鉄バス車両ファイルA
 K−RT225AA

今回は、爆音で有名だった名車・初期RTを
ご紹介します。
初の低床冷房車のスケルトンボディとして
注目されてのデビューでしたが、金沢での
活躍は長くなく、89年には全車寺井へと移籍
し、快速小松線などで活躍しました。

しかし快速小松線からも運用を追われ、今度は
山代線などを担当することとなりましたが、
ここでも長続きはせず、晩年は別々の運命を
辿りました。

あまり恵まれた人生とは言えないようですが、
名車として今も多くの乗務員やファンの心に
焼きついています。



▼89年からしばらくは快速小松線での活躍が目立ちました。
画像:H−199さんご提供。
●初の低床冷房車のスケルトンタイプ

日野RTは、乗合バスの低床冷房車としては
初めてのスケルトンタイプの車両として、
昭和58(1983)年6月に導入されました。
同時期に柳橋、野々市に導入された車両は三菱のブルドッグ
だったのに対してのスケルトンタイプであったため、
登場時はとても注目されたそうです。

85年に導入される後期型のRTと比べて、窓が小さめで、
ルーバーが大きく2分割になっている等の違いがありますが、
北鉄では方向幕が小型か大型かで容易に見分けがつきます。
6台の車両のうち、805と806は西部営業所に配属され、
この2台と748の3台で中央病院線の運用に入っていました。
そして85年に後期型のRT(915シリーズ)が入ると、
金石線や安原線などでも活躍をするようになりました。

807〜810の4台は東部営業所に配属され、
やはり看板路線の花里線や錦町B線、鈴見線で活躍しました。
ですので、わずか1年間でしたが、「90 本多町 東部車庫」
の幕を出して走っていたというわけです。

さて、このRTは83年のみの導入であり、この前後の年の
車両の過渡期にあたる車両です。下段左の車両は82年式の
RC、右の車両は85年式のRTです。スケルトンボディへの
進化によって、大きくイメージが変わりましたが、
なおも小型方向幕、上下2段式の窓など、モノコックの要素も
まだ残っていることが分かります。
▲90年ごろの金沢駅前にて。 画像:おがさんご提供。

●89年、全車両が寺井へ集団移籍

89年になると、すべての83年式RTが寺井へと一斉に
移籍しています。この時に座席が交換され、左側の中扉より
後ろと右側全てが2人がけのシートになりました。

RTの移籍は経年の進んだREを置き換えるためだったと
考えられ、そのため内装もこれまでの仕様に準じるものに
変更されたのではないかと思われます。
(なおRTと同時に西部の741〜747も寺井へ移籍し、
旧型車両を一気に置き換えています。)

寺井に移籍したRTは、快速小松線や辰口線、
小松駅⇔小松空港のほか、93年からは松任や千代野にも
その姿を見せていました。
数学教師さんによると、
1990年に,当時の寺井車庫所属(?)の日野RT
(車番80*〜81*)が,朝の時間帯に11系統の快速に
入っていたと思います.車庫漢字表示に「寺」をシールで
貼られていたように思います.
(このシールは結構長かったような・・・)

とのことです。
91年式ハイグレード車が登場するまでの数年間は、
寺井営業所を代表する車両として快速小松線などのほか、
間合い運用もこなしていたようです。

そして91年に快速小松線からの運用を外れ、金沢に姿を
見せることは少なくなりました。
加賀地区ローカルでの活躍がメインとなったRTですが、
当時まだまだモノコック車の牙城だったこの地区では
唯一のまともなスケルトン車両としてもてはやされたそうです。
快速小松線の運用を離れた後は、何台かは山代へ移籍し
寺井の車両とともに、当時はドル箱路線だった山代線
(寺井車庫〜長田〜小松駅〜粟津温泉〜山代温泉桔梗ヶ丘)
に投入されていたそうです。

94年、加賀地区の一部路線が加賀温泉バスに移管され、
RTの6台もそれぞれ別の道を歩むことになります。
807と809はこの時設立された加賀温泉バスに移籍し、
再塗装もされてピカピカになっています。
当時すでに登場から10年以上が経過していましたが、
加賀温泉バスの出発式でも使用されたと言いますから、
まだまだ十分に現役だったことがうかがえます。

806は、加賀を離れてスクール輸送や能登などを転々とし、
晩年は西部に戻りました。806のほかにも西部に戻った
車両がいたようなのですが、どれなのかは分かりません。
▲画像6点とも:助ける役さんご提供。
●そして再びふるさとへ。。。

加賀地区では第一線で活躍していたRTも、西部に戻ると
「古いバス」として扱われ、52下安原や71宇ノ気、
河北台スクール、そして86系統で96年ごろまで
使われていました。
86系統の医科大延伸時にもまだ活躍を続けていたよう
ですが、当初は「86田中」の幕を使用していたそうです。

808は東部に戻り、朝ラッシュ専用で余生を送りました。
21通快や、11、18系統で使用されていました。
この頃、「金沢東高校」に名称変更し、バスの方向幕も作り
直されましたが、RTは緑で塗りつぶしてその上から白で
手書きで幕を書いていたそうです。
また、辰巳丘高校のスクールにも使われていたそうです。
そのほかの車両は加賀に残り、南部営業所に統合されると
南部所属になり、97年ごろまで最後の活躍をしていました。
運用は、松任、千代野、寺井がメインだったようで、
南部入庫系統として四十万線を走ることもあったようです。
また、このRTは運賃表の「しじま台」を「四十万台」と
表示していたそうです。

さて、このRTは走行音が非常に独特で、私もその音だけは
しっかりと覚えています。「爆音」とよく言われますが、
まさにその通りで、これはRTのみの大きな特徴です。
また、UD「プチ」がRTの音と似ているという人もいます。

文字では表現のしようもありませんが、85年式RTと
83年式RTでは「爆音」っぷりもやや異なっており、
83年式のほうが音がうるさかったような気がします。
そのほか、このRTは車高がひじょうに低かったらしく、
「この車は、他車より車高低い。兼六園下交差点左折時
下にこすれるので要注意」と東部の車両には書いてあった
そうです。
これは西部の車両にも書いてあったそうで、
数学教師さんによると、
日野RTの1台が西部に戻って来た頃(1995,96年あたり),
52系統で下安原から乗車.安原地区フリー区間では
放送スイッチを押した瞬間に運賃表示(ピキピキ音)が変わり、
一般区間ではやや遅めに運賃表示が変わっていました.
また,そのRTには「車高が低いため,
西念地区の走行注意が手書きで示されていました.

とのことです。

最後に。。。RTは東部の乗務員の間では「ポンポン船」
と呼ばれていたそうです。いかにRTが親しまれていたかが
分かりますね。
▲画像2点とも:助ける役さんご提供。

●RTとその前後の車両たち

RTの魅力はその爆音っぷりが有名ですが、私は
過渡期の車両ならではの味わいもまたその魅力の一つと
考えています。

何よりもモノコックボディからスケルトンボディへの移行
により、82年式までのRCとは外観が大きく異なって
いますが、それでも85年式RTと比較すると
上下窓や小型方向幕など、現在から見ればなんとも
アンバランスな感じがRTの個性を主張しているように
思えます。

(画像3点とも:助ける役さんご提供。)



北鉄バス K−RT225AA 全車両一覧表
 社  番 所属営業所の変遷 備 考 
23−805 西部に導入。
→89年ごろ寺井へ。廃車。
23−806 西部に導入。
→89年ごろ寺井へ。
→94年ごろ移籍。
能登などを転々とし、西部へ。廃車。
23−807 東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。
→94年3月、加賀温泉バスへ。
廃車。
23−808 東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。
→94年ごろ東部へ。廃車。
23−809東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。
→94年3月、加賀温泉バスへ。
廃車。
23−810 東部に導入。
→89年ごろ寺井へ。 廃車。


画像ご提供:助ける役さん。 H−199さん。 おがさん。
情報ご提供:CHさん。 横江線利用者さん。 しょうさん。
        もりさけてんさん。 タイムトラベラーさん。


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