【特集】パーク&バスライドの歴史


■はじめに

パーク&ライドとは、郊外から都心へ
自家用車で向かう人が、途中の駐車場
に車を置き、そこで電車やバスなどに
乗り換えて都心に到着する移動形態
のことです。
現在でも毎年のように交通実験の一環
として行われていますが、その歴史は
古く、今回は北鉄と金沢市が行って
きたパーク&ライドの初期の様子を
おがさんご提供の画像とともにご紹介
します。


----------------------------------------------------------------------------------------------------

▼画像:助ける役さんご提供。
●昭和45年、西泉でスタート

初めてのパーク&バスライドシステムは、
昭和45(1970)年9月に北鉄が独自に行ったものです。
これは急増するマイカーによって市内中心部の混雑が
ひどくなり、その緩和のために行われました。

北鉄は、自家用車の駐車場を西泉のジャンボボール前に
用意しここを乗り換え拠点としました。
駐車場は有料で、料金は月極で3000円(軽車両は200
0円)ですが利用促進のため、北鉄のバス・電車の定期券
所持者は半額に割り引くという措置がとられました。
この駐車場は6600平方メートルで、390台も駐車可能
という広大なものでした。
当時西泉を通る路線は、循環東大通り線や野々市線、
上荒屋線などがありましたが、パーク&バスライドの
実施に合わせて西泉循環線(西泉〜富本町〜香林坊〜
武蔵ヶ辻〜橋場町〜兼六園下〜西泉)、西泉・平和町線、
小立野・額線(小立野〜香林坊〜富本町〜西泉〜野々市
〜額第二住宅)が新設されたほか、
準急小松線と獅子吼高原線を西泉経由に変更して
利便性の向上に努めました。

しかし残念ながらこの時のパーク&ライドは失敗に終わり
ます。せっかく用意した駐車場は近隣の会社に通勤する
人やジャンボボールの利用者に使われていたのみで、
そもそも西泉では都心に近すぎてここでわざわざバスに
乗り換えるということに無理があったようです。
また、金沢市の一人乗りマイカー規制の実施延期も発表
されたため、この初代パーク&ライドは昭和49(1974)
年5月に終了してしまいました。


▼画像はすべておがさんご提供です。
●「兼六園すいすい号」の登場

せっかくの「北陸の交通新時代に対応した」パーク&ライド
でしたが残念ながら失敗に終わり、次に復活したのはそれ
から20年近くが経過した昭和63(1988)年5月のことで
す。
この頃になると、毎年ゴールデンウィークにはたくさんの
観光客が自家用車で金沢市内に大量に流入し、中心部の
混雑は悲惨な状態になっていました。
金沢西インターから中心部までの渋滞は4.1キロで平均
走行速度も時速2.0キロという有様でした。

そのため、石川県と金沢市、北鉄は共同でパーク&バスラ
イドシステムを試験的に採用し、交通渋滞の緩和を目指す
とともに、観光客の利便を図ることを試みました。
このようにして、久しぶりにパーク&ライドが復活した
のですが、同システムの実施計画は次のようなものでした。

対象となった車両は、北陸自動車道を金沢西ICで下りた
観光客の自家用車です。駐車場には、600台収容可能な
石川県農業会館をあて駐車料金は無料とし、金沢西ICか
ら駐車場までの道中には観光客を誘導するための案内看
板を随所に設置しました。

農業会館から市内中心部へは無料の循環バスを運行し、
8時から18時過ぎまで10分間隔で走らせることにしました。
循環バスの経路は下の図の通りで、新神田から大豆田を
経由して長町、香林坊、広坂から兼六園の周回道路を
反時計回りに走り、広坂から今度は本多町、笠舞、上菊橋、
野町広小路経由で農業会館へと戻るものです。
バス停は4箇所設置し、旧長町小学校横に「武家屋敷」、
成巽閣、兼六園(蓮池門)、野町広小路に専用の停留所が
用意されました。
さらに定時運行を確保するため、元車交差点から広坂交差
点までバスレーンを設置し、兼六園の周回道路は一方通行
に規制したうえでこちらにもバスレーンが設置されました。
このバスレーンは循環バス、一般路線バス、観光バス、
マイクロバスおよび二輪車の通行のみ認めるというもの
でした。
このような対策をとることで、循環バスの運行区間16キロ
を一周60分とすることが目標とされました。

こうして十分な用意がされたパーク&バスライド実験は、
5月4日に実行に移されました。
一番バスは県警のパトカーの先導というずいぶん気合の
入った出発の仕方だったそうです。循環バスには8台の専用
車両と4台の予備車が用意されていましたが、予想以上の
数の利用者がいたため急きょ4台を増車して計16台での
運行とし、回数も126回で平均運行間隔は4分41秒という
大盛況のうちに実験は終わりました。

循環バスの利用者数は当初予想の2200人をはるかに
上回る3555人で、駐車場も予想していた750台の
5割増しの1157台が入りました。このため市内の
渋滞も緩和され、渋滞区間の平均速度は以前の約5倍の
11.3キロにまで向上しました。

交通事情の改善という当初の目的を十分に達成することが
できたパーク&バスライドシステム実験は翌年以降も継続し
て行われ、循環バスの愛称も「兼六園すいすい号」として
定着しています(?)。
翌平成元(1989)年5月には、2回めのパーク&バスライド
実験が行われました。
今回ははじめから運行間隔を5分とし、バスも21台用意して
おり、昨年の教訓をしっかり活かしています。またこの年は
実験日を5月3日と4日の2日間とし、さらに多くの利用を
見込んだものとしました。
その結果、2日間で計2344台が利用し、やはりパーク&
バスライドの一定の効果を証明できる結果となりました。

しかし、兼六園周辺の道路が一方通行となったことに付近の
住民は不便を感じ、またこの区間のバスレーンはタクシーの
走行を認めなかったためタクシー運転士からも強い不満の
声が上がりました。
また、観光客にメリットはあっても、一般市民は直接この
実験で得られるメリットは少なく、高い費用をかけてわざわざ
やる必要があるのか、といった声も聞かれたため、翌年以降
はこの見直しも課題となりました。

そのような声も考慮して翌平成2(1990)年のパーク&バス
ライド実験では、「システム協力費」として500円が利用者
から徴収されました。
これは前年の利用者アンケートの結果から、有料でも利用す
ると答えた人の割合が多かったことも影響しているものと
思われます。

その後も毎年この実験は行われており、
平成3(1991)年からは初めて「東インターコース」も実施し、
昨年の2倍の利用がありました。東インターコースの駐車場
には城北運動公園があてられ、この年以降2コースでの運行
となりました。
平成4(1992)年には、例年と同じ5月のほかにも初めての
通勤時のパーク&バスライド実験が11月末から行われ、
金沢循環器病院〜香林坊と金沢駅〜太平寺間で専用バス
が走りました。
翌年にはコースが3つに拡大され、昨年と同じ太平寺コース
のほかに、久安コース、体育館・競技場コースが新設されま
した。コースはこれ以降も毎年変更・新設が行われ、
現在に至ります。



その後のパーク&ライド実験についても今後加筆予定
です。


参考文献:金沢市史、社内報「ほくてつ」、北國新聞各号

画像ご提供:おがさん、助ける役さん。
-------------------------------------------------------------------------------------------------

トップへ戻る