金沢寺井線 
(快速小松線・小松線)



金沢寺井線の前身は、金沢駅〜松任〜寺井役場前〜小松駅間で長らく運行してきた
快速小松線で、平成10(1998)年に寺井役場前(現.寺井庁舎前)までに短縮して
路線名を変更したものです。

画像は、平成3(1991)年に快速小松線に集中投入された日野のハイグレード車
です。「快速」の赤文字が誇らしげですね。
(画像:H−199さんご提供。)


金沢と小松を結ぶ路線は、昭和18(1943)年の北陸鉄道発足後に
誕生しています。それ以前は、小松〜寺井間は「能美電バス」が、
寺井〜松任〜金沢間は「金沢電気軌道」が運行していたそうです。

昭和26(1951)年には、金沢〜小松間に2往復の急行バスが開業
しています(なお、同時期に金沢〜和倉温泉間も急行バスが開業しています(急行七尾線))。
そして、昭和30(1955)年までには同区間の路線網が市内線なみに
整備され、松任までは10分間隔、小松までは20分間隔となりました。
当時は平行する北陸本線の普通列車の運転本数は、現在とは比較にならないほど
少なく、金沢〜小松間の都市間輸送はバスがその役割を果たしていました。

急行、快速便はその後も増便され、そのほか準急便も用意されて
金沢〜小松間は毎時3本体制となります。
最も本数が多かった快速小松線は、ドル箱路線として活躍を続けました。
車両は普通の路線タイプでしたが、座席はロマンスシートを採用しており、
急行七尾線と快速小松線は三菱車と日野車の違いはあれど、ともに都市間輸送の
看板路線として輝いていたようです。

昭和43(1968)年9月には、寺井営業所の開設に伴い、快速小松線も同所の
担当となっています。
かつては営業所ごとに車両がはっきりと分けられており、寺井には
日野車が置かれていました。そのため、快速小松線にもREやRT、そして
ハイグレード車など、歴代の日野の名車たちが使用されてきました。



昭和45(1970)年9月のマイカー規制実施に伴う改正では、
西泉に設けられたパーク&ライド駐車場利用者のために、いくつかの路線が
西泉経由に変更されており、準急小松線が西泉経由になっています。
しかし、このマイカー規制は失敗に終わり、数年後にはもとの
有松経由に戻されています。

この西泉経由は少なくとも昭和50(1975)年まで存在していたようで、
画像のような幕が使用されていました。
同様の幕は、兼六園下行きと寺井車庫行きも存在していました。

▲横幕です。この幕はなぜか東部の車両にも入っていました。



▲ガチガチの日野エリアでしたが、一時期ブルドッグも在籍して いました。
 画像:助ける役さんご提供。


昭和46(1971)年10月、金沢〜小松間の路線が大規模な再編を受けました。
これは、
・快速小松線の停車停留所の拡大
・特別快速片山津線の新設
・美川と根上地区の路線再編
・長田経由快速の新設と小松準急の減便
が主な内容で、以下で詳しく紹介します。

まず、快速小松線の停車停留所に太平寺・宮丸・木呂場が追加され、
これで松任〜寺井間は当時のすべてのバス停に停まるようになったのでは
ないかと思われます。

新設路線としては、特別快速片山津線(11.5往復)がこの時に誕生しています。
経路は、兼六園下〜有松〜(松任バイパス)〜新道寺井〜ゴルフ場前〜片山津温泉
というもので、一部便には新道寺井から小松駅、粟津温泉、那谷寺を経由する
ものもありました。
「特別快速」なのは、松任バイパスを経由しているためだと思われ、
「約10分の短縮」との記述から、これ以前にも快速片山津線のようなものが
あったのではないかと推測されます。
なお、この路線は翌昭和47(1972)年10月には北陸自動車道へと
乗り入れを果たしています(7本)。経路は、
兼六園下〜北陸松任〜北陸美川〜北陸根上〜北陸小松〜片山津温泉
で、さながら東名ハイウェイバスのようですね。
この時は小松まで北陸自動車道を走行していましたが、
翌年の11月には高速道路走行区間を片山津まで延長しています。

美川・根上方面も改編がありました。
これまで同地区と金沢を結ぶ路線は、昭和40(1965)年に誕生した
根上準急線(兼六園下〜新道野々市〜松任〜寺井車庫〜根上〜小松駅) と
昭和43(1968)月9月に誕生した
美川準急線(兼六園下〜松任〜木呂場〜美川〜美川駅:12便)がありましたが、
根上準急を廃止して美川準急を根上経由で小松駅まで延長して(6便)、
路線の合理化が図られました。

(美川準急線が誕生するまでは木呂場〜美川間は川北線が走っていたようです。
この系統は、昭和43年9月に美川線が開業した直後の11月改正で消滅しています。)

また、根上準急線のみが走っていた(といっても当時は当時は鉄道能美線も健在でしたが)
寺井車庫〜根上間の救済として、根上線(小松駅〜松梨〜大島〜根上〜福岡〜寺井車庫:7.5往復)
が新設されています。

このように路線が整理されたのですが、これに伴い美川が一経由地となってしまい、
美川の街中には入らなくなり(美川駅からは1便のみ)、
かわりに大橋沿いに設置された「美川口」を利用しなければならなくなり、
住民が怒っているとの記事が当時の新聞に載っています。
しつこいようですが、
当時は北陸本線の普通電車が現在のように毎時2本あったわけではなく、
金沢へはバス利用が一般的だったとのことです。

さて、よくわからないのが「小松準急」と「長田経由快速」です。
この改正で、小松駅〜大川町〜長田〜寺井〜粟生〜下柏野〜松任〜兼六園下
の長田経由快速便が7.5往復新設されています。どう見ても、
これはのちの「準急小松線」であり、一方の「小松準急」はと言えば、
この改正で朝夕は金沢〜小松間の運行ですが、日中は金沢〜寺井に短縮されています。
このことから、この「準急」は昭和50年代の「準急小松線」とは別のもの
だったのではないか、と考えられます。
どうやら、この頃の「準急」は快速小松線と全く同じルートを走るもので、
停車停留所の数が多かっただけではないのでしょうか。それが、
快速小松線の停車停留所の増加に伴い、「準急」は長田経由の快速のことを
指すようになっていったのではないでしょうか。


▲準急小松線の幕です。ほんとはこの車両の登場前年に 消えているのですが。。。
 画像:助ける役さんご提供。


昭和40年代の状況は推測を交えて説明しましたが、昭和50年代は時刻表が
いくつか残っているので全体像を伝えることができます。
ちなみに、昭和50(1975)年4月から昭和59(1984)年11月までは
快速小松線・準急小松線には「41」の路線番号が与えられていました。

私が持っている昭和55(1980)年の時刻表によると、
金沢駅からは毎時2本の快速小松線
(停車停留所:金沢駅、武蔵ヶ辻、香林坊、片町、広小路、有松、西野々市、太平寺、
松任から寺井車庫までの各停留所、新道寺井、平面、小松東口、小松駅)と、
8:20〜17:30に50分間隔で温泉急行も運転されていました。
こちらは、北日本観光と共同運行となっており、武蔵ヶ辻、兼六園下、
香林坊(金沢行きのみ)、片町(小松方面行きのみ)、広小路、松任、新道寺井、
小松東口、小松駅の順に停車していました。

加えて、快速片山津線(かつての特別快速と同じ)
(停車停留所:兼六園下、香林坊、片町(小松方面行きのみ)、北陸松任、北陸美川、
北陸根上、北陸小松、石川病院、片山津温泉)が兼六園下14:20と16:00発、
片山津温泉10::00と10:50発が用意されていました。

また、兼六園下からは毎時2本の準急小松線
(停車停留所:兼六園下、香林坊、片町(小松行きのみ)、広小路、泉一丁目、有松、
二万堂、伏見橋(小松行きのみ)、西野々市、太平寺、番匠、松任からの各停留所)
もあり、一部の便は寺井役場前までの運行となっていました。

平日のみの運行でしたが、金沢駅17:25発、小松駅7:20、7:40発
(7:40の便は那谷寺始発7:20)の通快小松線も存在していました。
停車停留所は、
金沢駅、武蔵ヶ辻、香林坊、片町(小松方向行きのみ)、広小路、新松任、下柏野、
水島、粟生東口、寺井車庫、新道寺井、平面、小松東口、小松駅、市立病院、
上本折、今江、串、粟津駅口、粟津温泉、粟津温泉駅、那谷寺
でした。

これらを合わせて、毎時4〜5本が小松駅と金沢市内を結んでいたことが
分かり、相当な利用者がいたことも推察されます。

▲寺井庁舎前にひっそりと残るかつての路線図。。。

しかし、昭和60年代になると、民営化を控えた国鉄が金沢圏にも
都市型ダイヤを導入し、短編成で高頻度の普通電車が走るようになります。
急行七尾線はもちろんのこと、快速小松線も打撃を受け、乗客は激減しました。

その少し前の昭和56(1981)年には準急小松線が普通便の小松線になっていますが、
この手の準急は金沢市内での定時性確保が目的だったようで、高松線や湯涌線
もこの年から準急運転を取りやめています。

そしてどこかの関西私鉄がそうであるように、快速小松線の停車停留所が増え、
南町、二万堂、稲荷、三日市、小長野に新たに停車するようになっています。
野々市町内では、昭和58(1983)年に野々市中央が新設されたことに
伴い、西野々市から野々市中央に停車停留所が変更されています。


と言っても、80年代の快速小松線はまだまだ中距離幹線として活躍していました。
充当される車両も郊外仕様の豪華車両で、カバー付きの二人がけハイバックシートが並び
さらに補助椅子まで装備していたそうです。

画像はおがさんご撮影の29−580で、同期の579,581とともに
快速小松線・小松線で使用されていました。
少なくとも580は廃車直前まで快速小松線で現役だったようで、この画像も
90年ごろのご撮影とのことです。


この画像はH−199さんご提供の23−809ですが、
撮影時期は90年ごろとのことです。
ちょうどこの頃になると、78・79・80年式の快速小松線用車両が経年のため
廃車が進んでいたようで、その置き換えのために西部の82年式RCと西部・東部の
83年式RTがいっせいに寺井へ移籍しました。
(この時わざわざシートを2人がけ中心のものに付け替えています。)
しかし結果的に91年には新たな快速小松線用車両として10台ものハイグレード車が
寺井に投入されたため、RTは山代線などに転用されました。

この頃には間合い運用なのか予備車なのか、空港線の車両もたまに
使用されていたそうで、数学教師さんによると、
一度だけですが,寺井の空港線用車(BUSRAMAによれば,たぶんRU608)の
快速小松線運用に遭遇し乗車しました。
整備の関係だったのでしょうか?
運賃表示機は幕でした。

とのことです。



厳しい状況となった快速小松線のテコ入れを図ったのか、
平成3(1991)年の日野の新車は13台中10台が寺井営業所へ配属されました。
画像は、245号車です。幕の経由地が間違っていますが、これは後年になって
修正されています。                   画像:助ける役さんご提供。

この頃になるとさすがに減便が目立つようになり、日中は
金沢駅からは毎時2本で、1本が快速小松線、1本が各停の寺井役場前行き、
兼六園下からは毎時1本で小松線の寺井役場前行きとなっていました。
ですので、小松線のくせに小松駅まで走る便は朝夕のみとなってしまっています。
ただ、これら3本がちょうど20分間隔となるようにダイヤが組まれ
ていたため、寺井まではそれほど不便になった印象はまだありません。



平成3(1991)年1月に通快小松線は特急小松線(小松駅→金沢駅)に格上げ
されています。
現在では運行区間が寺井〜金沢に短縮されてはいますが、
小松線関連では唯一残る路線名となっています。
停車停留所は、かつての通快便から粟生東口と下柏野を抜き、有松と南町を加えたものです。
当時の通快は昭和55年の時の停車停留所に、有松と南町を加え、平面を抜いた
ものとなっています。通快と特急の区別がほとんどないように見えますが、
特急は有松〜金沢駅間は降車扱いのみで、使用車両も空港リムジンバスを充当しており、
なかなか好評だったようです。

検査時などは快速便と同様のハイグレード路線車が使用されていたようで、
幕もしっかりと搭載されていました。



経由地表記が修正された幕も存在していました。

93年2月から、寺井営業所(91年からは加賀営業所に改称)は
松任線や千代野線も担当するようになり、これらの路線の幕のほかにも
10・11・18・93・94系統の幕も搭載されていました。
数年後に控えた南部営業所の開設に向けた布石のような、そんな印象も受けます。



平成5(1993)年になると、「快速小松線」の名が消滅し、すべて「小松線
に統合されるとともに、毎時1本は小松行き、毎時1本は寺井役場前行きとなり、
快速の小松駅行きは朝夕に残るのみとなっています。
翌年には、小松地区の路線が北鉄から小松バスに移管されており、
状況の厳しさが伺えます。

画像の幕は、各停の小松駅行きに使用されていたものです。
私は経由地表記がない幕も使用されていたのを見たこともありますが、
基本的にはこの幕を使用していたそうです。



小松駅からの各停の金沢駅行きにはこの幕が使用されていました。


▲末期は「快速」表記から赤色が消え、衰退を象徴していました。

なお、快速小松線と対をなしていた急行七尾線ですが、こちらは平成2(1990)年
に消滅しています。マイカー所有率の急増に加え、JR七尾線の電化を翌年に控えて、
寂しく消えていきました。
快速小松線のほうは、減便はされたものの松任〜寺井間はJRと距離を置いており、
空港リムジンバスを使った特急便が好評だったこともあり、都市間輸送は
あきらめたものの、金沢と寺井を結ぶことをメインの役割にすることで、現在も
ある程度の本数を維持しているといえます。
(これは関西のJRと平行私鉄の関係と全く同じだったりします。。。 どことは言いませんが。)



平成8(1996)年3月、南部営業所の発足に伴い、小松線は長らく担当してきた
寺井営業所(末期は加賀営業所)の手を離れ、南部の担当となりました。この時に幕も新調されており、
幕もローマ字表記のものとなると同時に「快速」の文字が従来の赤色から黒色に
変更され、同線の衰退を象徴していました。

小松線は、平成10(1998)年3月ダイヤ改正 で運行区間を金沢駅〜寺井役場前
に短縮され、「金沢寺井線」に路線名を変更されています。
ですので、この幕はわずか2年しか見ることのできないものでした。
つい最近までは152号車に入っていたのですが、さすがに現存はしていません…



金沢駅行きも同様に黒字のシンプルなものとなっています。
経由地表記は、これまでは小松方面から来る路線には「松任」と書かれていたものが
「有松」に変更されています。



福留(早朝のみ)・寺井→小松駅の便に使用されていた幕です。



各停の小松駅行きの幕ですが、こちらは南部営業所で作られたもので、
ローマ字併記となっています。


横幕には「平面(ひらおもて)」の表記があり、
既にメイン系統となっていた寺井役場前行きとは一線を画すものでした。


▲長田経由の系統は90年代前半に小松線から切り離されており、
 96年から小松バスの担当となっています。


その後も小松線は減便を続け、わずか5年の間で見るも無残な姿となって
しまいました。
最終年度である平成9(1997)年には、日中は間引きされ2〜3時間に1本と
いう有様となり、これが5年前までは時刻表のトップを飾っていた路線とは
とても思えない状態となっています。
(92年のポケット時刻表まで、快速小松線は金沢地区のページのトップに
記載されており、ほかの路線とは違うということを主張していました。)

そして平成10(1998)年3月改正で、
金沢駅〜寺井役場前と寺井史跡公園前(旧.寺井車庫)〜小松駅に系統が分断され、
前者は「金沢・寺井線」、後者は「新道寺井線」として再スタートを切ります。

しかし、同年7月にははやくも新道寺井線が北鉄の手を離れ小松バスに移管され、
現在に至ります。
北鉄の配布時刻表にこの路線が現在もなお記載されているのは、小松線時代の
名残ですが、なんとも寂しい姿になってしまったものです。



平成10(1998)年3月改正で金沢寺井線が誕生し、
小松駅へは行かなくなりましたが、数本が 小松空港まで足を伸ばすように
なりました。なお、寺井役場と 終点の小松空港間はノンストップでした。

この不思議な系統は一日2往復ほどの運行だったそうで、
金沢駅からの運賃は1000円。これは、高速道路経由の 特急バスから
座席料金を引いた金額です。
所要時間は65分で、使用車両は南部(営)の050、054、259など
4桁の運賃表を持つ車両が走っていました。

また、誤乗防止のために「野々市・松任経由」のプラ板を装備し、
車内放送でも「有松、野々市、松任、寺井役場前経由、小松空港行きです」
と言っていたそうです。     情報:TOMさんご提供。


横幕はこのようになっていました。
この不思議な系統は、翌99年の改正で消滅しており、わずか1年のみ
のレア系統でした。経路は、寺井役場前を出ると小長野を通過し、
長田南交差点を右折し、ここからは現在の小松空港B線の経路で
小松空港へと至っていたそうです。      情報:994さんご提供。



まだ快速小松線が活躍していた頃から、その区間便として毎時1本が
兼六園下〜寺井役場前間で運行していました。
運用も快速小松線と共通だったため、画像のようにハイグレード車が
使用されていました。また、幕も経由地表記なしのもので、郊外路線
としての風格を感じられるものでした。   画像:H−199さんご提供。



入庫のために、寺井役場のひとつ手前の寺井車庫までしか走らない便もありました。



95年度より、順次ローマ字併記の幕に新調され、寺井方面の車両も
南部営業所発足の96年ごろからローマ字併記幕となっていきました。

この幕は、98年ごろまで多く見られましたが、車両によってはわりと近年まで
残っているものもありました。



金沢寺井線の発足にあわせて、順次経由地入りの幕に新調されました。
南部営業所担当となり、三菱車も運用に入るようになりました。
これによって、松任線や千代野線の一部のような存在になりましたが、
車内放送は音声合成になるまでの間、なぜか松任線とは異なる声のテープが
使用されていました。

担当は、松任線らに先立って平成13(2001)年3月より加賀白山バスに
委託されましたが、04年4月には松任線・千代野線がほくてつバス南部支所
に移管されると、今度は金沢寺井線のみが松任地区で唯一の「北陸鉄道」の路線
となり、松任線らとは使用される車両も異なり、あちらは中型ノンステが運用に
入るようになりましたが、こちらは現在に至るまで大型バスのみの運用と
なっています。



05年に能美市が誕生すると、「寺井役場」は「寺井庁舎」に名前が
変わったため、幕も変更されています。

▲現在の金沢寺井線の姿です。

平成20(2008)年4月からは、金沢寺井線もほくてつバスに移管され、
現在では松任・寺井地区はほくてつバスのみが担当しています。なお、
車両も共通運用となっています。

ほくてつバス担当となったことで、幕での運行は消滅しており、
見ることはできなくなりました。



金沢駅行きの幕です。
これは松任・千代野線に使用されるものですが、金沢寺井線でも
使用される時がありました。



金沢寺井線の金沢駅行きの幕です。小松線時代も使用されていましたが、
その当時は寺井からの便は経由地表記なしの幕を使用していました。



ローマ字併記になるまでは、寺井発の金沢駅行きにはこの幕が使用されて
いました。
小松駅からの便は「松任 金沢駅」の幕が使用されており、なぜか
使い分けられていました。



寺井からの便のうち、毎時1本は92年まで兼六園下発着でした。
これは当時の金沢〜寺井の系統が、準急小松線→小松線(長田経由)の区間便という
位置づけだったことから、その流れを受け継ぐものでした。

なおこの兼六園下発着系統は丸の内経由で運行されていました。



香林坊止まりの便も朝に数本あり、こちらも寺井発だったため経由地表記がありません。


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