北鉄バス車両ファイル@ U−HT2MMAA


今回は、90年度に1年のみ導入された
(HIMRは除く)U−HT2MMAAを
ご紹介します。

これまでの日野大型車とは異なり、
前面方向幕まわりが黒塗りとなって
やや引き締まった表情になりました。

西部に導入された車両は、大野線に集中
投入され、以来長らく同線のカオとして
活躍してきましたが、
06年までに大野線から撤退、
最後まで野々市に残っていた203号車も
09年3月に廃車となっています。


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▲20−176、柳橋車庫にて。 05年7月撮影。



▼90年頃の兼六園下モータープールにて。画像:おがさんご提供。
●日野最後のローバックシート車

89年式までの車両とほとんど違いはありませんが、
新基準の排ガス規制をクリアしたため形式が変化してU−代
となりました。外観上の変化は、方向幕まわりが黒塗りと
なったことが挙げられ、従来の日野車とはイメージがずいぶ
ん変わっています。

導入は2回に分けて行われ、まず171から177までの7台
が平成2(1990)年6月に導入されました。このうち171〜
174の4台はバックカメラを装備して西部営業所の配属と
なり、78年式など旧型車両ばかりだった大野線に投入され、
これらの車両を置き換えました。
175〜177の3台は東部営業所へ配属され、花里線などの
看板路線に投入されました。
そして同年11月には、202と203が西部営業所に導入さ
れ、この2台も大野線・大野港線に投入されました。これで
61・63系統はこれまでのモノコック車両ばかりというイメージ
を一気に取り払っています。


(画像左上):おがさんご提供の20−173。
まだ登場したばかりの頃の姿で、車体もピカピカです。

▲金石バスターミナルに停車中の20−175。
撮影は05年夏で、左のおがさんの画像と比較すると
幕のローマ字併記や正面の社番シールなど、変化が
見てとれます。

(画像左):東部に配置された車両は花里線などを中心に
活躍しました。


●車両分析

(上2枚):左がU−HT2MMAAで、右が89年までの
  P−HT235BA。同じ幕を掲げていますが、
  雰囲気がかなり異なりますね。

(左):大野にて時間調整をする高尾行き。

(下2枚):側面の様子。参考にどうぞ。

▼▼ 左が177の後姿、右が203の後姿。
  どちらもバックカメラ付きですが、203には
  さらにバックランプ付きで、さらにバンパー部分の
  ランプ形状も異なります。
ちなみに203には「貸切」幕が貼られていますが、
これは廃車直前のスクール運用時のものです。

(左):内装の様子。運転席側の前三列は二人がけ
  シート、その後ろ三列が一人がけシート、
  そして中ドアより後ろの三列がまた二人がけシートと
  なっていました。

  ドア側の前4列は一人がけシートでこのうち中ドア
  寄りの2列は優先席となっていました。
  中ドアの後ろに荷物置き場があるのもこの90年式
  までですね。


(左下):同じく内装の様子です。


(下):手回し式横幕も今となっては懐かしいですね。
▲ブザーボタン、整理券発行機、シート。。。 このどれもが91年式より変更となっています。


▼西部時代、金石現地駐在だったことも。
●大野線で生涯を終えた車両も

平成11(1999)年、大野線が三馬線と連結して三馬大野
線となったため南部営業所の車両も大野を走ることに
なり、そのため172と203の2台が南部営業所へと
移籍しました。

この頃から東部と西部は日野、柳橋と南部・野々市は
三菱、といった車両の区分はされなくなってきており、
172と203も三馬大野線のほかにも30系統などで活躍
する姿がしばしば見られるようになりました。

しかし、この南部営業所時代も長くは続かず、
平成13(2001)年には野々市の加賀白山バスへ2台
とも移籍しています。
南部では古参だったのに、移籍先の野々市では「新しい車
両」としてさまざまな路線で活躍しました。そして、172は
平成20(2008)年3月に廃車となりましたが、203はその後
も予備車として活躍を続け、一年後の平成21(2009)年3月
に廃車となりました。

西部営業所にいた残りの車両たちは、平成17(2005)年〜
18(06)年の三馬大野線への集中新車投入によって
同線からは一気に淘汰されてしまい、171は東部へ移籍し
スクールバスとしてわずかな期間だけ使用され廃車となり、
173と174は三馬大野線の運用を外れた後にすぐに廃車
となりました。
また西部に移籍していた175は晩年に古巣の東部へと戻り
予備車として活躍していました。

(左)画像ご提供:若原さん。34系統での一コマ。
176と177は東部営業所で活躍していましたが、
平成13(2001)年3月に柳橋へ移籍し、176のほうは
所属上の表記は西部営業所北部駐在となり、ほくてつバスに
委託された本体路線を担当するようになりました。
177のほうは、ほくてつバスの所属となり同社に移管された
路線で使用されるようになりました。

平成15(2003)年4月には176もほくてつバス所属となり、
末期は予備車として活躍していました。
個人的には毎朝の通学で1年間お世話になった車両でも
ありました。
177は柳橋で最後の幕車で、平成19(2007)年3月まで
スクールバスとして活躍を続けたほか、07年1月には
代車として柳橋円光寺線を走り、柳橋の幕車のラストを飾り
ました。
詳しくは こちらをご覧ください。

▲▲ 06年の秋から廃車まで、朝の83系統で活躍した
  176。

(左上):07年1月、すでに176も廃車となり最後の一台
  となってからも予備車として活躍を続けた177。

(左):折り返しの柳橋行き。これが最後の路線運用に
  なりました。 07年1月末撮影。

▲ 175は06年の年末まで予備車として活躍し、
  懐かしい姿を見せてくれていました。
  武蔵ヶ辻にて、06年11月撮影。
そして最後まで金中バス委託として残っていた202は、
平成19(2007)年3月になって正式に北鉄金沢中央バスに
移籍し、ここに大野線から90年式車両は完全撤退しました。

金中バスに移籍後は予備車として活躍し、左下の画像(若原
さんご提供)
のように笠舞駅西線のほか、田上線などでも
その姿を見ることができました。
ちなみに、この202だけが90年式日野大型車の中で唯一
金沢ナンバーになった車両です。

その202も、新車投入に伴い平成19(2007)年12月に
廃車となり、残ったのは加賀白山バスの172と203のみと
なりましたが、172のほうも翌年3月に廃車となったため、
08年度は203のみが残ることとなりました。

▼07年10月撮影。 末期は「回送」にもローマ字表記
入りの新幕を使用していました。
▲南部時代の172。ローマ字なしの旧幕を装備しており、 さらにこのエリアでは異色の日野車ということもあり、
 目立っていました。  画像:H−199さんご提供。



▼同じ横江線の幕でも、時期によってだいぶ異なります。画像左は若原さんご提供。
●最後の1台だった 20−203

野々市に最後まで残った203号車は、08年度も
予備車として活躍していました。
さすがにローバックシート車は金沢ではほとんど見られ
なってきていましたので、乗車したお客さんからも
「古いバスやなぁ」という声がちらほらと聞こえた
ものです。

08年の冬には明倫高校のスクールバスに充当され、
この車両と同年齢の高校生の通学の足として最後の活躍を
していました。
そして、明倫スクールバスが終了した09年3月上旬に
静かに廃車となっています。
(左上)西金沢にて発車を待つ203。
   幕車としても貴重な存在でした。
   08年9月撮影。

(上)同じく08年夏、片町にて撮影。

(左)ローバックシートが並ぶ車内。
  夏の日の夕方、西金沢で発車待ち中。。。

(左下)新旧の日野車が競演。
     画像:CHさんご提供。
     撮影日は上の私の写真と同じ日のようです。

(下)鳴和増泉線の車内。
   ザラザラのシートもこの90年式まででした。
▲最後の活躍の場は明倫高校スクールバスでした。 09年2月末、太平寺にて撮影。



北鉄バス U−HT2MMAA 全車両一覧表
 社  番 所属営業所の変遷 備 考 
20−17106年2月まで西部・金中委託。
→東部へ。スクール運用に。その後、廃車。
20−172 99年3月西部→南部 01年3月→野々市
08年3月、廃車。
20−173 西部営業所に導入、末期は金中委託。
06年3月、廃車。
20−174 西部営業所に導入、末期は金中委託。
廃車。
20−175 東部営業所に導入、その後西部へ。
06年2月西部・金中委託
→東部へ。スクール、競馬運用に。
06年秋〜冬廃車。
20−176 01年3月東部→柳橋
07年1月、廃車。
20−177 01年3月東部→柳橋
07年3月、廃車。
柳橋最後の幕式車両。
20−202 西部営業所に導入、のちに金中委託。
→07年3月、金中。
07年12月、廃車。
20−203 99年3月西部→南部 01年3月→野々市
09年3月、廃車。


(09.11.15 更新)

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